誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに (ページ29)

今日:48 hit、昨日:55 hit、合計:41,778 hit

13.戸惑いはサブテキストに。ページ29

.

「でも」

「？」

「空蝉が枡川さんって、納得しちゃいました」

「へ？」

稽古二日目にも関わらずそんなことを言う金城さんに驚きを隠せない。

「舞台表現として空蝉って難しい役なんじゃないかって思うんですよ。初っ端は横になっているし、突然男が乱入してくるし。」

「……はい」

「でも昨日の読み合わせの時の枡川さんのお芝居聞いて、これは私にはできないなって」

声でもう、空蝉の戸惑っている姿が見えるんですもん。

声優としてこれほど嬉しい言葉はない。

普段マイク前で立ってお芝居をしている人間にとって、声でキャラの姿を見せるのは出来て当たり前。
けれどここ最近の私は、その機会すら失われつつあって。

マイク前での仕事といっても、座ってキャラクターのイラスト用紙を見ながらのボイス収録に偏っていた。

そんな私が普段から身体表現をしている方にそう言ってもらえるのは、とてつもなくありがたいことで。

「まあ監督が言っていた通り、舞台だと分かりにくいので少し調整が必要……え、大丈夫ですか？何か私言ってしまいましたか？」

私の視界は気づいたらぼやけたガラスの模様でいっぱいで。そのガラスさえも波のように動いていた。

さっきまでクリアーに見えていた金城さんの姿も、モザイクがかけられたようにはっきりとしない。

私、泣いてるんだ。

「……っ、すみません、大丈夫です」

「いや大丈夫じゃないですよ、え、待って、どうしたらいいんだろ。……あ、正門さん」

「はい？……っえ、枡川さんどうしたんですか！？」

「そんなことは良いから、タオル無いですか？」

「いや、今横にあるやないですか金城さん」

「はあ？床と触れたタオルを泣いている枡川さんに渡せって？正気ですか」

「いやちゃう、そんなんじゃ……。あ、これはどうやろ……枡川さん、失礼しますね」

「あ、ちょっと！」

ふわっと何かがかけられた感触。

涙を見せまいと俯いていた顔をあげると、そこには心配そうな顔で私を見ている正門さんの姿。
体育座りしている私と視線を合わせるためか、立て膝になっている。

「正門さん……？」

「俺ですよ。……大丈夫ですか？」

「……はい。あ、タオル、正門さんの……」

「そうです、緊急っぽかったんで。ちょっと臭いますけど」

そう言いながら苦笑いをする正門さん。
頭上からの匂いには、彼の包容力を表しているような暖かさがあった。

.