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「お客様にお引き取り頂いて頂戴。」
「あぁ、良いところだったのになぁ。まあ目立つと怒られちゃうし…また今度来るよ」
彼は意外にもあっさりと、禿達に促される前に、自分から帰り仕度を始めた。
私はすぐに彼へ背を向けて、別れの挨拶の一言もかけない。
「怪我、早く治るといいねぇ。」
出て行く直前、彼が言ったその一言に、背筋が少し凍るかと思った。
怪我のことも、名前のことも、誰にも言わず隠して来た。
なのになぜ、あの客は知っていたんだろう。
気持ちが悪い。
気味が悪い。
胸に残る厭な思いを吐き出すように、私は懐から出した煙管を、思い切り吸い込んだ。
______
翌日。
部屋に運ばれてきた朝食を一通り口にすると、私は昼見世の身支度を始めた。
機械時計を見れば、時刻はもう午後前だ。
この時計も馴染み客からの贈り物ではあるけれど。
目の前に並べた飾り物を眺める。
…真珠を施した鹿の子留めは、随分前に使ってしまった。チリカンは今じゃ芸者達の流行り物だし、この紅色の花簪は…潤朱花魁の色と被ってしまう。
“銀曇花魁”の名に寄せ、私は銀製の両天簪と、銀葵簪を手に取った。
葵簪は流行り物じゃないけど、両天簪は若い娘の間では、最近熱が上がっている品だ。
完璧に着付けた髪と、着物。
鏡と向かって、細部まで整える。
「銀曇さん、そろそろよ〜」
下から弁柄花魁の声が聞こえてきた。
私はなるべく急ぎ足で、昼見世を行う階下まで降りて行った。
「銀曇花魁よ…」「昨日の…」「年季明けも早いでしょうね…」
すると心なしか、昼見世に出ている遊女達がどよめく。
私はその様子に首を傾げ、花魁の座る場所へと移動する。
「ねえ、弁柄さん。これは一体…」
「あなた、凄い騒ぎになってるよ!この遊郭一番の客を取った、って!」
「ああ、昨夜の…」
「ちょっと、これって凄い事なのよ!?羨ましいわぁ。もし例の客を取り続けられれば、あんたそのうち潤朱さんも超えて、きっとここで一番の花魁になれるわよ。」
弁柄花魁はそう言って、私より少し離れた場所に座る、潤朱花魁の方に視線を向けた。
“一番の花魁”その言葉に、私は高鳴る胸を押さえた。
あの客は確かに変だった。
でも、もっと酷い客を取ったこともある…
私は無理矢理自分を納得させ始めた。
あの彼は、もう一度来るだろうか。
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ミョンヒ - 怖いけど見事なゴジックロマンで、素晴らしいです。とんでもない相手に魅せられてしまった、危なさがよく出ておりますね! (2021年10月24日 21時) (レス) @page14 id: 8a4f993d4c (このIDを非表示/違反報告)
るい(プロフ) - おもしろいです!続き待ってますT_T (2021年7月15日 8時) (レス) id: 4cd171caaf (このIDを非表示/違反報告)
pooky - とても面白いです!頑張ってくださいね! (2021年3月7日 16時) (レス) id: 012e567f90 (このIDを非表示/違反報告)
やっぽ - はじめまして!この作品を何度も読み返してしまうくらい好きです!更新待ってます!! (2020年1月5日 12時) (レス) id: dfe50726da (このIDを非表示/違反報告)
ツナ缶 - 夜月さん» 感想ありがとうございます!恐らくお察しの通りです(色々と)笑 (2019年12月6日 0時) (レス) id: 837e8cc148 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:ツナ缶 | 作成日時:2019年11月8日 22時