シャングリラに綴る戯曲【掃き溜めの星】

├ ＊ ページ36

只、目の前の恩師が得体の知れない何かと対峙しているようで、このまま何処か遠い所へ行ってしまいそうで、どうしようもなく怖かった。そして、自分の意思とは関係無く焦燥に駆られるこの状況が、途方に暮れた時に包んでくるあの虚無感が、お前はまだ子供なのだと断言されている様で腹立たしかった。

　浅葱は思う。目の前にいる若人にどれだけの事をしてやれるだろうか、と。もしかしたら何も出来ないのかもしれない。二年前に見た惨劇と取り零してしまった命達と同じ様に、極めて利己的で無情で理不尽な程に立ち塞ぐ現実と言う名の壁の前で膝を折った自分達と同じ様に。だが、浅葱には金剛花陽の様に過ちを指摘し真実を諭す事も、翠斎槻の様に残酷な運命を隠し静かに見守る事も出来ないと痛感している。当然だ。彼は金剛花陽でも、翠斎槻でも、他の誰でもないのだから。
　ならば、せめて二度と自分や彼等と同じ轍は踏ませない為にも、嘗て金剛花陽や翠斎槻がそうした様に、自分なりのやり方で一人の人間の意思と生き様を示し、先の世を歩む若人達を導くと、浅葱は手紙を読んだ瞬間から決めていた。勿論、願いそのものが傲慢で独り善がりな上に、人を導く事はそう容易では無い事も理解している。それでも、もし無作為に掴み取った僅かな希望が後の世で大きな変化を齎す事が出来たなら本望だった。
　涙を堪える少年の頭を、傷痕だらけで無骨な手が撫でる。癖っ毛で少し強付いた黒い髪を、浅葱は優しく撫で続けた。


＊


　それでもね、──。立ち止まる事だけは絶対に許しません。貴方や貴方達に、諦めると言う選択肢は用意されていない事を忘れないで。
　貴方はあの時から今までに、数え切れない程の罪と過ちを犯してきたでしょう。私も未だにあの時の選択を悔いない日は無いのです。きっと貴方は当事者でもない癖にと文句を言うのでしょうけど、私はそうは思わない。
　私は、あの時から貴方のした事全てを悟っていた。それでも何も言わずに貴方の傍に居たのは、私がそうしたかっただけ。だって、貴方が何処か遠い場所へ行ってしまいそうで怖かったから。結局、学校を卒業したら貴方は私の元を去ってしまったけど、それ以上に雨に打たれてぐちゃぐちゃになってた貴方を抱き締めたかった。そのまま、貴方の事を許してしまいたかった。あの時の私は貴方の全てを受け止められる程強くなく、とても未熟だったのです。選択を間違えた、私のちっぽけな我儘だったのです。

├ ＊→←├ ＊

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す