episode356 Side Y ページ16
あの場から逃げ出したのはAじゃない、僕の方。
でも、君だって、逃げ出したかったでしょう。
そう押し付けるように、確かめた。
というか、押し付けなくたって、変わらない。
だって、君にとってはそれが事実なんでしょう？
「A、」
宿舎の前。まだ皆は、戻ってきていない。
僕としても、もう少しゆっくり街を見てから戻るつもりだったけど、今からまた街に戻れる気はしない。
「……大丈夫？」
大丈夫？って聞いた僕も、少しだめかもしれない。
そしたらAは、一体どれくらい怖かっただろう。
お互いに、握り締めたままの掌。
不安を確かめ合うように、縫い留めておきたくて。
(離さないでいてあげるから、僕のことも、離さないでいて。A)
「……あれが嘘ってことは、考えられないかな」
前髪と睫毛に遮られて、Aの表情はよく見えない。
それが不安になって、Aと視線を合わせるようにそっと屈む。
「さぁ……どうだろうね。でも、花綺更 来善という名前は確かに父親のものだし」
ようやく見ることが叶ったAの表情は、怖がっているというよりは、何だか憂鬱そうなものだった。
「あのひとは、この国で子どもにサッカーを教えていたらしいから。当時の子どもが彼だとしたら、年齢としては大体あのくらいになるよ」
まるで、いつもの寝起きの時みたいだ、なんて。
どう考えたって、現状にそぐわない感想が出てきてしまうくらい。
「……思ったより、冷静、なんだね。A」
どうしてか分からないけど、僕の今の心情を見つめ返してみると、それはもうとても自然に、“落胆”、なんて表現が浮かんできた。
僕は何に対して、“落胆”しているんだろう。
もやもやと形容し難い不安が、普段は滞りないはずの思考を強く煙らせる。
「西蔭さん。急に走らせて、ごめんね」
「俺は構わない。だが、……あんたは」
「私は平気です。でも、悠馬がまだ取り乱しているみたい。宿舎に入ってからも、様子を見ていてあげてください」
Aは普段と、変わらない。
じゃあ、僕だけが気にすることもないんじゃないか、って。
すぐ傍の2人にも気取られないくらいに小さく、深呼吸をして、普段の僕に戻れるようにと心を鎮める。
その不安の正体を確かめることは、この時には叶わなかったけど。
(Aが傷付いてないなら、それでいい。……良かった)
この後、取り返しがつかなくなってから。
そして、考えつく限り最悪な形で。
僕は、思い知ることになる。
episode357→←355 シンクロニシティ・イン・シティ
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 424人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：三峰 契 | 作成日時：2022年3月31日 19時
