episode323 Side S ページ32
(Aじゃないみたいだ)
隣を見れば真っ先に、髪に飾られた百合の花に目が行く。
そしてその次に、伏しがちな睫毛へ。瞬きの度に、重たげに揺れる。
何も言わず、手を差し出した。
するとAが、不思議そうな顔をしたから。
「履き慣れない靴だろう。歩きづらいのかと思って」
試合の時はスパイク。私服の時は使い古したスニーカーだし、制服の時のローファーだってこれよりはずっと歩きやすそうだ。
いつもよりも、Aの目線が高い。
それは、その靴のヒールのせいだ、と案じて、俺なりに配慮したつもりだったが。
「……なんだ。西蔭さんが、エスコートしてくれるのかと思いました」
Aは、安心したように。
そして、僅かに落胆したように。
「私は平気です。パルクールをしていたくらいなので、不安定な足場には慣れています。こんな数センチの背伸び、あってないようなものですよ」
相手を自分のペースへと呑み込むように話すのは、この上なく上手い。
だからと言って、人見知りをしない社交的な性格という訳ではなく、人集りはあまり得意ではないらしい。何となく退屈そうだ。
一星は準備に手間取っているのか、まだ会場に現れていない。
そして野坂さんも挨拶に回っているからか、Aはこれが当たり前だというように、俺から離れずに立っていた。
色んな視線が、此方を向いている。野坂さんの隣を歩いている時の視線とは、また少し違う。
Aは、こんな風にあらゆる方向から向けられる視線の隙間すら泳ぎ慣れているのか、これといって何も気にしていない、といった素振り。
「そういえば、向こうのテーブルにスイカがありましたよ。あいつに、取って行ってやりますか」
歩きづらくはない、というのは嘘ではないらしい。
先へ先へと、コツ、コツ、と足元で響く軽い音が、少しでも離れると、簡単に周りのざわめきへと吸い込まれていく。
その音を決して見失ってしまわないようにと、Aに着いて行く。
一度でも見失えば、俺のよく知る“A”を見つけられなくなる、と思った。
「そうだな。……あんたは、スイカ好きか」
「私ですか？……悠馬がよく食べているから、ついでに貰うくらい。特別好きでも嫌いでも、ないかな」
「じゃあ、好きなものがあったら、教えてくれ」
そう言うとAは、大人びた装いには似合わない、だけど俺がよく見慣れた笑みで、“ありがとうございます”、と返した。
(大人っぽくなったからと、不安がる必要は、無かったな)
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作者名：三峰 契 | 作成日時：2021年9月10日 19時
