春を待つきみ【nqrse】

19 春を待つきみ ページ19

.




カフェから病院が近くて良かった。そうは思ったけど、俺の体力はもう限界に近い。

「……はぁ、っ」

引きこもりの自分を今は恨んでいる。普段から多少は運動しとけ、何かあった時困るぞ。
だんだんと足が重くなっていく。
呼吸は浅くなるし、うまく酸素が吸えない。
ふざけんなよこういう時に限って。俺は今やらなきゃいけない。

一つ一つ呼吸を重く置くようにしながら、やっとの思いでたどり着く。




「――A」

小さな桜の木の下に立ち、散る花びらを見上げている。薄紅色の桜に包まれた彼女が、こちらを振り向いた。
その目は赤く腫れていて、酷く泣いたことが伺える。

「な、るせ」

か細い声で俺の名前を呼んだ。
そんな風になるまで思い出してあげられなかった。彼女は覚えていない俺に明るく振舞っていたけど、本当はそんな態度を取れないくらい辛かったはずなのに。

Aの元に駆け寄り、抱きしめる。少し抱きしめない間に痩せたような気がした。
ふるふると体を震わせる彼女を窘めるように、さらにきつく力を入れた。
ねぇ、と彼女が口を開く。


「何もわからないなら抱きしめないでよ、私が辛くなる」

背中に回され、パーカーを掴んだ彼女の手が強ばる。
これじゃあ離そうとしても離せない。離す気なんてないけど。
抱きしめないでという割に抱きしめ返してくる彼女は、どうしようもやくかわいい。

「何もわからなくなんてない」

視界が歪み、頬に暖かいものが伝う。
泣くなんて格好悪い。そう思ったけど仕方なかった。
忘れていた間に焦がれていた彼女の体温を掻き集めるように、さらにきつく抱きしめる。

俺は成瀬だ。歌い手をしている。そして、Aの恋人。
もう二度と忘れやしない。
不意に彼女の顔が見たくなって、回した腕を緩める。
彼女の顔を覗き込めば、俺と同じように涙を流していた。


「……遅いよ」

「ごめん」

泣きながら笑うAに釣られて、二人で笑いあった。
桜はもう半分近く散ってしまっていて、薄紅色よりも瑞々しい青緑の方が目立つ。

「ぴったりの日に見れなかったね」

Aは空を仰ぎ、桜を見つめた。
風に遊ばれて舞う桜が、Aの手の中に落ちる。

やっぱりぴったりの日に見たかったなー、と悪戯っ子のように笑う彼女を見て、俺は決意した。

「じゃあぴったりにするか？」
「え？」



――俺と、家族になってください。







fin.

あとがき→←18 始まりの場所、思い出の場所

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す