. ページ27
言葉が出ないままの自分を置いて、綺麗なその人は受付のカウンターに一枚の絆創膏を添えたあと、小さく礼をしては去っていく。
ふと右手の小指に視線を移せば、たしかにそこには切り傷があった。浅いけれど血は滲んでいて、いつの間に切ったんだろうな、なんて少し考える。
絆創膏を手に取って、捲って、小指に丁寧に巻きつけた。ただの絆創膏に温度なんてないだろうに、なぜかそれが温かく感じる。
揺れる髪も遠のく背中も、輝く瞳も。
そのすべてがこの世のものとは思えないくらいに綺麗で、優しくて、何よりもあたたかくて。それに初めて触れたのはちょうどこの日で、だけどそれからその人はぱったり来なくなった。
次会ったときはお礼を言おうと、ずっと心に決めていたのに。
だけどある日。その人はまた目の前に舞い降りた。
病院を退職して以来、数年経ったその日。
娘とひどい喧嘩をした。
この頃は多分、反抗期とかだったんだと思う。高校生にもなって思春期真っ只中の女の子ともなれば、親と喧嘩くらいするものだろう。
それでもこのときは、自分も自分でいっぱいいっぱいだったから、それすら考え付かなかった。新しい仕事もうまくいかなくて、帰ってきても娘とはこうで、誰も慰めてなんてくれなくて。
それでも母親らしいことをしたくて、遊び呆けてばかりの娘に、ああしろこうしろと口を出してばかりいたこのとき。
また娘と言い合いが始まって、したくもないのにいちいち変な喧嘩をして、全てに嫌気がさしてきた頃。
つけっぱなしのリビングのテレビに、大きな向日葵が浮かぶ。
ふと目が合って、ひどく懐かしいような何かに心が覆われた。
それはまさに、天使のようだった。
宝石でも埋め込んだような、輝かしい瞳と優しい歌声を聞く。
ああ、また。
また会えたんだと、たしかにそう思った。
「…ねえ。ちょっと」
「もう！話しかけないでよ！」
「いや、そうじゃなくて…」
テレビの画面の奥、華やかに踊り続ける彼らを横目に、その後ろ姿に声をかけた。
案の定、いつものように鋭い声が飛んできたけど、その瞬間にまた見覚えのある黒髪が映り込むせいで、しばらく目が離せなくなってしまって。
何かをひたすらに目で追う姿を不思議に思ったのか、眉を顰めて此方を見つめてくる。その顔はやけに幼く見えて、夫によく似たものだななんてどうでもいいことを考えていた。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 750人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告感想を書こう！(携帯番号など、個人情報等の書き込みを行った場合は法律により処罰の対象になります)
をる(プロフ) - Kさん» コメントありがとうございます😭！！拙い文ですが楽しんでいただけているようで本当に嬉しいです。これからも見守っていただけたらと思います、ありがとうございます🙇 (4月3日 19時) (
レス) id: 8d863670a1 (このIDを非表示/違反報告)
K(プロフ) - いつも読ませて頂いております！素敵なお話ありがとうございます。無理なさらずこれからも応援しています☺︎ (4月3日 11時) (レス) @page25 id: 64e289b1e8 (このIDを非表示/違反報告)
をる(プロフ) - こころさん» わー！！コメントありがとうございます😭本当に励みになります、嬉しいです。この先も楽しんでいただけたら幸いです！ (4月3日 2時) (レス) id: 8d863670a1 (このIDを非表示/違反報告)
こころ(プロフ) - 書き方がすごく好みです❤︎これからも楽しみにしています！ (4月3日 2時) (レス) @page25 id: ff02d19e18 (このIDを非表示/違反報告)
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：をる | 作成日時：2024年3月25日 3時
