アヴェ・マリア【胡蝶しのぶ】 (ページ3)

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〝ステージから見て、キミのことを可愛いって気に入ったらしくてね。〟

アイドルのマネージャーからそう言われ、楽屋に通じるドアの在処を教えてもらったファンのように真衣は喜んだ。

本気ですか、シスター。

私は横で笑いを殺すのに苦労した。

神聖なるミサに、サタンを招き入れるようなものですよ。

真衣は宗教を信じていたのではない。

人を超越した存在を体感しているのだ。

この2つは似ているようで、性質が全く異なる。

真衣の高揚と熱情は、原始的かつ幻視的だ。

宗教として体系付けられる前の、もっと混沌とした何ものかと、真衣は交感する。

荒々しいリズムとともに、得体の知れぬものを憑依させた古代人のように。

電源のように天から降る声を聞き、終末の世界を一瞬のヴィジョンとして描くことが出来た伝説の預言者のように。

真衣の体には何故かそういう回路が開けていた、というだけの事だ。

真衣の信仰心の正体を多くの者にとって1番理解しやすい言葉で説明するならば、それは恋だ。

直感と狂的興奮に裏打ちされた、盲目的なまでに一途な抑えきれぬ思い。

快感のうちに恍惚と蕩ける肉体と精神。

真衣が在学中に洗礼を受けることはなかった。

真衣の親は娘が宗教に入信することを望んだのではなく、然るべき大学に入学することを期待して、真衣をミッション系の中高一貫校に通わせていたからだ。

真衣は成人してからも、洗礼を受けなかった。

眩きに満ちた幻視も、天使が吹き鳴らすラッパの音も、何者かの愛撫による快感も、訪れることがなくなったようだ。

かつての熱病は去り、しかし次の熱病が息を吐く間もなく真衣を襲った。

宗教色のない大学に入った真衣は、恋をした。

今度の相手は、十字架にかけられ具現化された〝神の子〟ではない。

人間の男だった。

真衣の目が新たな光を帯びて潤む。

どこにでもいる男の唇から紡がれるありふれた音階に、神の言葉を待つ殉教者のような喜びに満ちて耳を傾けるその表情。

可愛くて、可愛そうな真衣。

無垢で虚な精神と肉体は、この世にありながら最も容易く霊界の浸透を許す。

天のいと高きところにホザンナ！

深夜に取った受話器の向こうで「妻がおかしいんです」と紀村義雄が言った時、私は思ったのだ。

〝真衣がおかしいのは昔からだ〟と。