2 煉獄家の女中が鬼殺隊に入らない理由【煉獄杏寿郎】 (ページ29)

今日:7 hit、昨日:0 hit、合計:48,785 hit

74 ページ29

ーAsideー

A「煉獄家の女中でいたいです」

ようやく彼の目を見られるようになった。

顔を上げると、

初夏の蒸し暑い風が、私の前髪をなびかせる。

ふいに左目も彼の瞳を捉えた。

彼はほっとしたような、悲しそうな

なんとも言えぬ表情を見せた。

それから

自分のタオルで私の濡れた髪を拭いてくれる。

クシャクシャと程よい力が

髪を揺らす。

杏「千寿郎には俺から昨日のことを弁解しておく。

　父上にも、Aの頭に二度と水をかけることのないように伝えておく」

それからどうしようもなく心地いい彼の腕の中にいて。

杏「長男でありながら屋敷の者に手を出すなど、言語道断。

　不貞の極み。

　
　本当にすまないことをした」

許しすら問わない彼のその姿勢に

悲しみと優しさが同時に胸の中にじんわりと広がるのを感じた。

しかしそれ以上に私の涙腺を動かすのは、

安堵であった。

もし、彼が昨晩以上に私を求めてくる場合、

私は、私の持つ全ての力で彼に抵抗しなければならなかった。

女中として、

彼を守るべき一人の人間として、

昨晩以上に彼を拒絶し、

彼を傷つけなければならなかった。

しかし、もうその必要はないと言うのだ。

彼は昔からこういう人だった。

だからこんなにも今日まで愛しい。

A「昨晩は私の方こそ大変申し訳ありませんでした」

彼の背に手を回し、

私から彼を抱き寄せたのは

実に5年ぶりだった。

杏「君が敬語を使うこと、弱音を吐かぬこと、

　身分差のことも、今は何も言うまい。

　いつか、Aがその理由を話したくなれば

　いつでも言えばいい」

一番欲しかった彼からの言葉を噛み締めながら

私は声にならない声で返事をするのだった。

「それから」と、彼が私の頭に顎を乗せる。

杏「屋敷内では武器を身につけるのはやめなさい」

物騒だろう、と呟く彼に

私はいつだって敵わない。