66 ―杏寿郎side― ページ21
―杏寿郎side―
抱擁に何も抵抗しないAを前に
俺の頭には走馬灯のように
彼女の記憶が蘇っていた。
炎天下、
血だらけで一人、中庭にて竹刀を振りかぶる姿。
他人から隠すようになった左目。
俺と目も合わせないほど
よそよそしくなってしまった態度。
それなのにいつも何かを飲み込んだようだ表情。
夜分遅くまで
一人で家事をこなす姿。
...彼女は5年前以来、
一度も泣いたり取り乱したり
投げ出したりすることはなかった。
文句さえ言わないのだ。
それを俺は何も言わず
ずっと遠くから眺めてきた。
家事と任務で傷だらけになったAの手を
俺は優しく包んで撫でる。
...それでも彼女は
何も変わっていなかったのだ。
俺の知っているAだった。
誰にも見られないように静かに、
そして心配をかけないようにたった一人で、
彼女は何度も
こんな夜を乗り越えてきたのだろう。
杏「……もっとこっちに」
まつ毛にかかる彼女の前髪を撫でると、
そこには確かに変わらぬ輝きを放つ
左目があって、
それは真っ直ぐに
俺だけを映し出した。
ようやくAが
俺を見てくれた。
ここ数年で初めてまともに彼女と
目が合った気がする。
こんなに弱りきっていたのか。
いつからだ。
前兆はあったか。
どうして気づいてやれなかった。
A「だめ、杏寿郎。
…..離れてください」
目を伏せるようにして俯いた彼女は
再び声を細めて泣き出すから
当然離す気にはなれない。
A「...離してよ……」
俺を振り払おうとする彼女の力は
こんなにも弱々しい。
鬼殺隊の精霊と呼ばれるAの力は
こんなものじゃないことぐらい
誰もが察しがつくのに。
杏「……離せない」
暫くの間、
啜り泣く彼女の振動が俺の心臓に伝わるので、
それが酷く心地よかった。
彼女は一体、一人で何を背負っているのだろうか。
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作者名:わたあめ | 作成日時:2021年5月4日 20時