◆179．桜、満開 ページ6
.
「──視界はどうだい？」
緩やかな暗闇が取り払われる。
と、空一杯に広がる桃色の枝々が彼女の目に映り。
『良好です』
ひとひら、落ちる花びら。
狂い咲きだった桜の大樹は、
長い時間をかけて正しい時分に満開を迎えた。
足元の白い彼岸花もまた一度も枯れることなく。
「それはよかった。
これで完全に君の眼は治ったはずだ」
『……ありがとうございます』
さくら。さくら。咲き誇る。
見つけた当初はぼんやりとだけ捉えていた景色。
その全てを今、明確な輪郭を持って
はっきりと双眸に映している。
それでも幻のような風景に変わりはないのだな、と。
漆葉は妙に冷えた頭でそう思った。
「うん、……あぁ、本当によかった。
君がようやく決断してくれて。
どれだけその日を待ち望んでいたことか」
波一つない湖と月をバックにした常磐は
抑えきれない喜びを表情に起こして言った。
恍惚と、耽溺と。
濁った深緑の瞳はあの嵐の夜を思い出させる。
鮮やかな記憶のままで。
彼女はとっくにアザの消えた手首を握り、
自身の震えを落ち着かせた。
「決行は明日。いよいよだ。
明日夜には私たちの為だけの楽園が整う。
楽しみだと思わないかい、A？」
『ええ』
漆葉は夜の空気に通る澄んだ声で
少しの間も挟まず相づちを打つ。
暫し満開の桜を見上げていた彼女は、
やがて着物の袖を翻しながら背を向けた。
萌葱色。
濃い緑に染められたその着物は
月光に照らされた漆葉の白い肌によく映えた。
病的なほどの美しさに儚さを加えて、
彼女は緩慢に夜空を見上げた。
星の輝きをかき消す月を。
明日、待ち望まれて満ちる月を。
『……明日の月は、綺麗でしょうね』
青漆の瞳。
月明かりに照らされたその色彩は
夜空の中で場違いにも、晴れた青空を映して輝く。
「あぁ、もちろんだとも」
色めき立つ常磐はやはりそう、
思慮を回さぬまま彼女の言葉を肯定する。
その様子を見た漆葉が今夜初めて、
ふっと微笑んだことにも気づかずに。
.
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 368人がお気に入り
お気に入り作者に追加
この作品を見ている人にオススメ
この作品を見ている人にオススメ
「呪術廻戦」関連の作品
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：Sn | 作成日時：2022年2月25日 23時
