初心で無知なお前に。【短編集】

賢明ではあり得ない【ハニー】 ページ34

手痛い裏切りに、これまでの人生で何度も遭ってきた。
その経験から私は常に賢明であろうとした。
常に賢く冷静に。人に弱味を見せないし、そもそも作らない。

そのつもり、だったのに。



「なあ、いつになったら俺の女になってくれんだよ」



紫頭の矢印男、ハニー。普段コイツは猫被りらしいが、私の前では最初からこんな感じだった。
何でも、「惚れた奴に嘘吐くのは誠実じゃないだろ」との事
…逆にその態度が誠実じゃないと思うが。



「言ったでしょう。私は貴方を好きにならない」



ぷい、と後ろを向く。
いつもだったら彼はここで「つれねぇの」とかぼやいて帰るのだ。
…でも、今日は少し違ってて



「…そうやって、何時までごっこ遊びしてるつもりだよ」



「え、」



怒ってるかの様な切迫した声。
直後に腕に加えられた強い力は、とても抗えるものじゃなくて。

いきなりの出来事に、私は自分の顔を隠すのも忘れて、呆然とハニーの事を見ていた。

つつ、と。彼の白くて長い指が私の頬を撫でる。



「…こんな真っ赤な顔してる癖によ」



「っ!!」



慌てて彼の腕を振り払って両手で顔を覆っても、もう遅い。
ああ、とうとうバレてしまった。今まで、自分の中に芽生えた彼に対する膨れ上がった劣情を、どうにかこうにか隠してきたというのに。
全て水の泡だ。



そんな私の両手を強引に拐うと、ハニーは私の顔を覗き込む。
その目は私への救いようのない劣情と、どうしようもない欲の狭間で揺れていた。



「なあ、そろそろ諦めちまえよ」



開いたハニーの口から鋭く尖った牙の様な白い歯が顔を出す。
その奥にある彼の赤い舌が、やけに扇情的だった。



「人は、所詮賢者にはなれねぇよ」



しまったと思った時には既に手遅れ。

気づけば彼の顔が、すぐそばまで迫っていた。







人は恋すると、賢明ではあり得ない。


全てが彼に侵食されて、何も考えられなくなる

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