At the end of……《硝子体 様へ》 ページ7
廊下で遠くに見つけた朽葉色のスーツ。無機質な世界にあらわれた色彩に、私は目を奪われた。
そしてそのスーツを纏った男が誰であるかに気づいて、ドキリと心臓が嫌な音を立てた。
坂口安吾。ここ数年音信不通だった、特務課に入ったときの同期だ。ある日突然連絡がつかなくなって、姿も消えた。
当時の私は、煙のように消えた彼にうろたえたが、煙のように消えた人間がいつの前か戻ってきたというわけだ。
あちらも私に気がついたのか、少しだけ眉を動かした。それでも、側にいる部下との会話は止めない。
逃げ出したい気持ちをこらえながら、廊下を歩く。今さら、どんな顔をして彼に会えばいいのだろう。見つかってしまったのだから、逃げ出す訳にはいかない。
カツカツと踵をならして、前に進んだ。このヒールにも、入省したときには泣かされたものだ。硬い革に慣れなくて、何度痛みを耐えながら仕事をしたことか。今の私は、黒いパンプスを履きこなせる。
彼までの距離が、3メートルになった。
「久しぶりですね」
先に声をかけたのは、彼だった。すぐさま部下を退出させる。私はピタリと足を止めて、彼の呼びかけに答えた。
「ええ、久しぶり」
そのまま、また歩きだして通り過ぎようとした。そして。
「何か聞くことは?」
私はまた立ち止まることになった。
「…………。貴方がそれを訊くの?」
空白の時間は彼を随分と変えたようだ。出会ったときの彼は、知性と若さの溢れた、少し傲慢なところもあったが愛すべき青年だった。それが今ではすっかり煮ても焼いても食えないような厄介な男だ。そうでもないと、この世界ではのしあがれないのだが。
私が知らないところで彼が何をしていたかは、大方の察しはついている。
「無いわ、何も。仕事だったんでしょう、なら仕方のないこと、そうじゃない?」
「……貴女らしくない答えだ」
彼が呟いた言葉を、私の鼓膜が拾い上げる。
私らしいって、一体なに? じゃあ貴方は、一体私にどんな答えを望んでいたの?
口には出さないが、彼に対する不満も沸き上がる。
「どうも。それじゃあ、私はもう行くから」
そっけなく返して、私はやっと彼から離れようとした。だが、それはまたしてもそれは彼によって阻まれた。
「待ってください」
懇願するようなそれに、私の心臓がまたしても嫌な脈を打つ。事実それは彼の懇願だった。彼の表情は、見たことがない哀しさで満ちていた。
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作者名:雪の | 作者ホームページ:https://twitter.com/snow_snow_dream?s=09
作成日時:2018年10月7日 11時