五話 ページ6
八月も二桁目を数え出した頃、バイトから帰ると父親が居た。
鼻につくような嫌悪感を覚える。
「バイトは順調?何してるんだっけ?」
父親はそう訊いた。僕は出来るだけ感情を表に出さず答える。
「カフェーの給仕を。まぁ順調です」
まだ外は明るかったが、電灯の点いていない室内は薄暗かった。
僕はそのまま手荷物を置くと夕飯の支度を始めた。一応四人分。何だかんだでみんな別々の時間に食べているらしく、料理はいつも空になっていた。
今日は何を作ろうかと冷蔵庫を開ける。父親は何も言わず、机に向かって頬杖をついてどこかを眺めていた。
三十分もした頃、僕は料理を終えた。
「食べます?」
一応聞くと、父親は悪びれず、いただくよ、と言った。
親子の食卓は異様な程に静かだった。向かい合って座っているのにどちらも一言も言わない。
僕にはそれが楽だった。
夕飯を食べ終えて、食器を流しへ運ぼうと立ち上がると、父親は思い出した様に呟いた。
「あの女は死んだ。今頃海の中だろうな」
その言葉を理解しかねた。
「冗談?それにしては出来が悪いと思いますよ」
「冗談でこんなおもしろくないこと言わねぇよ」
僕はこの言葉を真に受けるか悩んだ。その間、ずっと洗い物をしていた。
洗う皿がなくなっても、ずっと流しの前に立っていた。
「あの女が悪ぃんだ。金稼がねぇやつはただの荷物だもんなぁ。
せっかく面倒みてやってたのに昼間の仕事はクビになるし夜の仕事でも成績悪いしよ。
ここまで生かしてやったんだから感謝しろってんだ!」
僕の脳は嘘だと判断した。
正確には現実避難かも知れない。
けれど、これを信じては男の思う壺だろうし、何より僕が犯罪者にならないという自信がなかった。
「そうですか。僕は勉強もありますし、これで」
僕は母さんと使っていた部屋へ入った。最後にみた男の顔は歪んでいた。
いつもなら参考書やノートを広げるところだけれど、今日ばかりはそんなことをする気にはなれなかった。
……違う、あれは男の狂言なんだ。さっきだって酒の匂いがしたじゃないか。いつも酒の匂いをバラ撒いているのはあの男だ。今日は匂いだけじゃなくて嘘まで撒いた。
それだけだ。
息の仕方がわからなくなる。自分の手が、舌が、頭が、目が、自分のものでない気がする。
誰のものかもわからないもので自分が構成されている様に思えた。
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