一話 ページ2
父さんを、僕は知らない。
物心ついた時には母さん一人で僕を育ててくれていた。
と、言っても朝は僕が起きるよりも早く出て行き、夜は僕が眠ってから帰って来たから、一緒に過ごす時間はほとんどなかった。
年に一度、僕の誕生日だけは絶対に一日仕事を休んで、一緒にいてくれた。
それだけで十分だった。
中学三年の秋。母さんは改まって僕に話があると言った。
その日は珍しく、僕の誕生日でもないのに仕事を休んでいた。
日曜日だった。低い机に向かい合って座ると、母さんは言った。
「母さん、再婚したい相手がいるの。
今日は、その人に会いに行こうと思ってるんだけど、潤一郎も行く?」
照明を落とした様に視界が暗くなった。母さんの口からそんな話が飛び出すとは思っていなかった。
「……行く。着替えるから待ってて」
僕は悔しかった。今さら父さんが出来るのも、母さんがそんな話をしたのも。
一番きれいな服を選んで着ると、母さんはいつもよりしっかりとメイクをしていた。
その男の第一印象は悪くなかった。狭いけれど小綺麗なアパートで三人で話をした。
「娘が、居るんだけどね。今、遊びに行っちゃってて……。ごめんね、潤一郎君」
「いえ、大丈夫です」
「娘も中三なんだけど、進学する気はないって遊んでばかりなんだ。潤一郎君を見習ってほしいくらいだよ」
その頃僕は猛勉強をして、奨学生で高校へ通うつもりだった。普通に受ければ、私立は愚か公立さえも授業料が払えないことは目に見えていた。
その日、その娘に会うことはなかった。
ただ、その日の帰り、偶然見てしまった光景。
それが後に真っ暗闇へ僕を誘う要因となった。
「ねぇ、お兄さん」
母さんの少し後ろを歩いていると、声がした。
声の主は僕とあまり歳の違わないくらいの少女。
どうやら、僕ではなく、後ろを歩いていた青年に声をかけたらしい。
僕は彼女の姿をしかと瞳に納めていた。
真っ黒い髪、透き通った肌。大きく妖艶な目、艶やかな唇。
ものすごく綺麗だった。
童話の、白雪姫とはこんな感じだろうかと考えていた。
見つめる僕と、目が合った彼女は、青年と腕を組ながら微笑んだ。
焦がれる様な胸の痛みを、今でも僕は覚えている。
やがて、無事高校に奨学生として入学した四月。
母さんと男は婚姻届けを出した。
どちらも再婚で、子供がいた。
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