大野クリニックで祝杯を－淡雪の記憶－ (ページ9)

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否応なく目を引く美貌と、昔劇団俳優をやっていたという演技力を誇る雅紀の、一番の特技が声帯模写だった。

老若男女問わず声色を完璧にコピーできるだけではなく、ありとあらゆる音をその喉から発することが出来る。猫の鳴き声を真似るぐらい朝飯前だろう。

「発情期の生き物の真似なら、相葉さんにはお手の物ですよね」

「……どういう意味だよ」

雅紀は二宮に剣呑な視線を向ける。

「それで、あとは逃げ出した猫を捕まえるだけだったんだけど、待ち構えていた翔ちゃんは逆襲にあって名誉の負傷。結局は大野さんが捕まえて一件落着になったってわけです」

二宮が誤魔化すように言うと、雅紀は櫻井の腕に走った赤い傷跡に視線を向ける。

「あらま、痛そう。翔ちゃん大丈夫？」

「はい、これくらい何ともありませんから。しかし、なんで俺達が猫の捕獲をしないといけないんですか？」

ため息交じりにカウンター席に座った櫻井はカウンター内にいるマスターに「ブレンドください」と声をかける。

銀髪と見間違えるほどの白髪のマスターは、無言のままかすかに頷いた。

喫茶梓のマスターにして、大野クリニックが入るこの梓ビルの大家でもあるこの男の声を櫻井はこれまでに一度しか聞いたことがなかった。

マスターが淹れるコーヒーが絶品なのにも関わらず、この喫茶店にクリニックのスタッフ以外の客がほとんど入っていないのも、その病的なまでの無口が原因の１つだろう。

まあ、店を昼過ぎに閉めたり、今日のように深夜まで開けていたりと、適当に営業しているところを見ると、一般客を増やしたいという気もあまりないのだろう。

「大切なクライアントの依頼だからな。
あ、マスター俺にもブレンドを」

櫻井の隣に座った大野は、軽い声で言う。

このビルに入っている『大野クリニック』は一般的な医療施設とは一線を画するものだった。

契約を結んでいるクライアントに、治療が必要になった際、情報が絶対に外部に洩れることなく最高の治療を提供する。

そのため、外観からはこのビルの中に医療施設があることが分からないようにしているだけではなく、地下２階にある駐車場から直接このビルの２階から４階にあるクリニックへと向かえるようになっている。

29歳の外科医である櫻井は、とある理由があって勤めていた総合病院を退職し、３ヶ月ほど前からこのクリニックの一員として勤務していた。