大野クリニックで祝杯を－淡雪の記憶－ (ページ23)

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「そうなんですか。皆さん、このたびはお世話になりました。本当にありがとうございます」

女は深々と頭を下げた。

「気にしないで。それより、やっぱりお名前とか思い出せないの？」

雅紀が気さくに声をかけると、女は痛みを堪えるかのような表情になる。

「はい、名前だけじゃなくて、なんにも……」

「そんなに落ち込む必要ないですよ。こういうのは、時間が経つうちに治ってくるからさ」

二宮が励ますように言う。
女は「ありがとうございます」と微笑んだ。

「えっと、ここにいる皆んな、クリニックのスタッフたちで……」

奈美が一人一人を紹介していく。

二宮が精神科医で実は三十路であると聞いた時、女は冗談かと思ったのか、怪訝な表情を浮かべた。

それを見た二宮が唇をへの字にする。

「改めて、よろしくお願いします。私は……」

奈美の紹介が終わったあと、女は挨拶をしようとした。しかし、自分の名前が出てこず、俯いて唇を噛む。

「そうだ。名前を思い出すまでの間、仮の名前を決めておかない？」

その場を取り繕うかのように、雅紀が言う。

「それならさ『赤羽さん』っていうのはどうですか？赤羽で見つかったんですから」

間髪を入れずに二宮が提案する。

「えっ……あの……私はどんな名前でも構わないんですが……」

「じゃあ『赤羽さん』で決定。それじゃあよろしく、赤羽さん」

二宮が明るい声を上げると、『赤羽』と名付けられた女性は、不安げに視線を彷徨わせた。

「どうかしましたか？」

奈美が声をかける。

「いえ、こういう薄暗いところに見覚えが……」

そこまで言ったところで、赤羽は「っ！」と言葉にならない声を出すと、側頭部を押さえながらその場にしゃがみこんだ。

「大丈夫ですか？！」

奈美が慌てて、赤羽の背中に手を伸ばす。

しかし、背中に触れる前に、横から伸びてきた手が奈美の手首をつかんだ。

「え？和也さん？」

奈美の手を掴んだ二宮は、唇の前に人差し指を立てると、赤羽の前に回り込む。

「大丈夫だよ、落ち着いて」

片膝をついて赤羽と目の高さを合わせた二宮は、柔らかい口調でつぶやいた。

息を乱しながら赤羽は顔を上げる。
額に浮かぶ汗が、間接照明の淡い光を反射する。

「深呼吸をして。ゆっくりと深呼吸を」

赤羽は指示通りに深呼吸を繰り返す。

「いま、何かを思い出した。そうですよね？」

二宮の問いに、赤羽は小さく頷いた。