舞台 ページ32
こつこつと念入りに繰り返した基礎練習は、結局、復活への近道だった。
逸って曲を弾いても至らないところは残ってしまう。
さまざまな曲のあらゆるパッセージをこなすための土台の訓練なのだった。
ピアノ再開後、初演奏はチャリティだった。
『野ばら』のマスターや、かつての音楽仲間がずっと熱心に声をかけてくれていた。
教会の募金コンサートで、聖歌隊やハンドベルのクラブといっしょに出演することになったのだ。
『主よ 人の望みの喜びよ』
まず芙希がソロで弾く。
それから聖歌隊が入って来て芙希を伴奏に歌う。
久しぶりの舞台だ。
もっと緊張するかと思っていたのに、芙希は落ち着いていた。
うんざりするほど地道に練習してきたし、聖歌隊との合わせもアマチュアらしくいっぱいリハーサルを重ねてきた。
何も不安はなかった。
芙希の数えきれないほど積み上げてきた舞台経験は、ゼロにはなっていなかったのだ。
ここに来て芙希をしっかりと支えている。
本当に久々に立ってみた舞台は、おそろしいというよりも、馴染み深い、踏み慣れた空間として芙希を迎えてくれた。
(実は、よく知っている場所だったわ・・・)
芙希はまったく平静だった。
内田は緊張しすぎて気持ち悪くなっていた。
生汗が止まらない。
こんなにドキドキするのは、芙希のデビューリサイタル以来だ。
CLの試合より緊張する。
出産後初めてというだけでなく、産前から弾くことができなかった芙希にはかなりのブランクがある。
元気な妊婦さんだったらいくらかは練習できたのだろうが、芙希は全然できなかったのだ。
大丈夫だろうか?
突然暗譜を度忘れして立ち往生したらどうしよう!?
そういう時は、楽譜を持って舞台に駆け上がって行ってもいいのかしら?
(俺が真っ青になってオーエと言っていてはシャレにならないんだが!)
バッハのあと、ブラームスの小品を2つ弾いて、芙希の出番は終わった。
温かい拍手とともに芙希は舞台を降り、内田は客席で吐かずにすんだ。
(復帰戦にしては上々だ!きれいな響きは戻っているし、芙希らしい大らかさは元のままだ!)
しかし、どこか今までとは違う印象があった。
一筋、違う色が入っているように感じた。
これはなんだろう?
知り合いばかりのこのホールで小曲を弾くのと、大舞台では全く違うだろうが、とにかく一歩踏み出したのだ。
内田は心から安堵し、嬉しくてたまらなかった。
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作者名:夏葉 | 作成日時:2015年1月30日 13時