饗宴 5 (ページ31)

今日:1 hit、昨日:0 hit、合計:48,191 hit

ヴィターリ3 ページ31

「そういや最近宮下来ないな」

何気なく言った内田に、桜子の相手をしながら芙希は振り向かずに答えた。

「またツアーに出たみたいよ・・」

「？」

悠理海にボールを投げてやっていた内田は、芙希の声色にふと何かを感じた。

宮下、変な奴だ。

いやに子供の世話がうまかった。

まさか子持ちじゃないだろうな(笑)

コンクール取った頃には芙希に躍起になってまとわりついていたが。

あいつ芙希のことなんだと思ってるのだろう。

もちろん音楽家仲間だ。

芙希はそれに加えて保護者感覚だと言っていた。

でもやつの方は芙希に音楽家、姉、母、恋人、すべてのイメージをちょっとずつ混ぜ込んでるんじゃないのか。

すごく嬉しそうに芙希の飯食ってたし。

宮下よ、そういうイメージを全部混ぜ込んだのを、『女神』っていうんだぜ(笑)

芙希は女神じゃねえよ！(笑)(笑)

はじめは、かわいい恋人だった。

次に、愛する妻になった。

それから俺の子の母親になった。

でも俺と出逢う前から一貫して芙希はプロの音楽家で在ろうとしている。

俺は、芙希をずーっと尊敬しているよ。

プロヴァイオリニスト、ジュン・ミヤシタ。

俺がボール一つで世を渡っているように、やつもグァルネリ1丁で世界を飛び歩いている。

芙希も今まではそうだった。

お互い厳しい世界で生きている。

共感するところがあるのだろう・・・

芙希は今頃宮下はどこで弾いているのだろう、せめて安全な国に居てほしいと思っていた。

最後に聴いたヴィターリが耳から離れなかった。

宮下はフレーズによってはほんのわずかずつ、細かくテンポを揺らす癖がある。

重音のタイミングに、独特のためがある。

自分だったら、どのように伴奏をつけるだろう・・・

芙希は、自分の耳がだんだん鋭くとがっていくのを感じていた。

宮下の音楽には確かに自分の胸をゆさぶり、影響を与えずにはおかないものがある。

天才の持つ力なのだろうと思っていた。

宮下のことを考える時、いつも追い立てられるような焦燥感を覚える。

『早く行かなきゃ、先行く宮下君の姿が見えなくなってしまう！』と。

そして、内田のことを思うと、その無駄な焦りが消えていくのだった。

内田はどっしりと大地のように支えてくれる。

『焦らなくていいんだ。泣いてもいいから』

芙希は内田のその言葉だけを頼りに、復帰への困難な道を歩んでいた。