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34枚目 ページ34

「だめ、止まって、来ちゃだめ」ひときわ高く甲板にこだました。女性の元に内海が駆けつけるきっかけとなったあの悲鳴の主が、シンシア・グレーンだった。誰もが海面を進んでくるUボートの影に向かって発せられた悲鳴だと思った。それは内海も例外でない。だが、もし彼女の言葉が別の対象に向けて発せられたものだとしたら。


 内海は、足下にうずくまるフラテに目を向けた。小さくしっぽを振り黒いつぶらな瞳で自分の名前を呼んだ相手を見上げている。「だめ、止まって、来ちゃだめ。」あれは物陰から飛び出してこようとするフラテに向けてシンシアから発せられた指示だったのだ。


 騒ぎの後、シンシアはまるで白昼に幽霊に出くわしたような真っ青な顔で今にも気を失いそうに見えた。航海士が声をかけAが幼いエマを預かる。航海士が彼女の肩を抱えるようにして船室へ連れていったのも記憶に新しい。Uボートの襲撃を経験した者のフラッシュバック。あの時は内海もそう思った。


 だが、マクラウド氏が毒殺されたことで別の可能性が生まれた。彼女は朱鷺丸の甲板上で自分が殺そうとしている相手であるマクラウド氏に気づいた。だから、あれほど興奮していたのではないかという可能性だ。船客名簿に記された奇妙な符合に気づいた瞬間。内海は確信した。


 『三つの頭』と『黒毛の犬』シンシアこそが、マクラウド氏が恐れていた殺し屋、ケルベロスだった。彼女がマクラウド氏の完璧な変装を見抜き彼を殺害したのだ。しかし、内海は眉を寄せた理解できなかった。目の前に座る若い女性はどう見てもプロのスパイとは思えない。彼女がいったいなぜ英国秘密諜報機関の暗号専門家であるマクラウド氏を付け狙い命を奪わなければならなかったのか。


 口笛を吹いてフラテを呼び寄せたとき航海士と話していたシンシアは一瞬で真っ青な顔になったが、すぐに観念した様子で人込みをかき分けるようにして内海に近づいてきた。


 シンシアの自白を止めようかと乗客の人混みから視線を向けるAに内海は要らないと目配せをした。シンシアからの話を聞いた。「私がグラスに毒を入れました。ルイス・マクラウドを殺したのは私です」幼い子供を腕に抱いた若い女性が突然自首して出てきたことに隣にいたイギリス人士官はをじめ周囲の者たちは呆気にとられた様子であった。イギリス士官が血眼になって探しているドイツ人ではなく、腕に幼子を抱く可憐な婦人から発せられる言葉ではないからだ。

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作者名:カナリアナ | 作成日時:2019年3月28日 23時

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