13枚目 ページ13
イギリス士官が、湯浅船長に折れるように言い出した。「では、こうしましょう。当方でドイツ人船客を一人一人取り調べて、軍属と判明したものだけを連行します。許可していただけますね」この場合だと軍属の明確な判断はイギリス側に任されてしまう。こんな非紳士的な申し入れに朱鷺丸の船長は断固として頷こうとはしなかった。
「だめだ。許可するわけにはいかない」きっぱりとした拒絶の言葉に、イギリス人士官は驚いた様に目を丸くした。武器を所持している相手に対する物言いにしては些か主張が強く出過ぎていた。「これは妙なことをおっしゃる。そもそも貴船はいま、当方の臨検を拒絶できる立場にはないはずですが」そう言って、海上に浮かぶイギリス軍艦にちらりと目を向けた。
軍属に装備された四基十二門の大砲が黒々とした砲口を覗かせ、朱鷺丸に向けて真っすぐに狙いを定めている。「銃で脅して、強引に臨検を行うつもりなら初めから国際法は持ち出さないことだ。そもそも、当方には貴艦名すらわからない。許可など出来るはずがあるまい」九名のイギリス人水兵たちのかぶる帽子には、本来そこに示されるべき所属艦名が剥ぎ取られている。海上のイギリス軍艦も船の側面がペンキで塗りつぶされ、艦名が消されていた。「私はキャプテン・ユアサ。朱鷺丸の船長だ。今度は貴殿が名乗りたまえ」湯浅船長の紳士的対応に「ノー・ネイム」イギリス人士官は平然とした口調で答えた。
「作戦上、艦名を教えるわけにはいきません」イギリス士官はそう言って肩をすくめると、背後を振り返って水兵たちに命じた。「これよりドイツ人船客の取り調べを行う。船客名簿を確保。当方のリストと照らし合わせろ。ドイツ国籍の者は全員取り調べるので連れてくるんだ。一人も逃すな」再び向き直り、ベルトから拳銃を引き抜いて日本人の船員に突きつけた。「この船の船客名簿を提出願います」相変わらずの慇懃。だが、冷ややかなその声は、命令を拒んだ場合の結果をはっきりと示していた。
ドイツ人船客の取り調べには朱鷺丸の一等談話室が使われることになった。イギリス人水兵たちが船内を駆け回り、ドイツ人を見付け次第に銃を突きつけて談話室に引っぱっていく。そんな様子をよそに、内海は白いパナマ帽を目深にかぶり、右舷甲板のデッキチェアに座っていた。じっと耳を澄ましても聞こえてくるのは風になびくクロスワードパズルの用紙の音だけだった。
この小説をお気に入り追加 (しおり)
登録すれば後で更新された順に見れます 15人がお気に入り
お気に入り作者に追加
違反報告 - ルール違反の作品はココから報告
作品は全て携帯でも見れます
同じような小説を簡単に作れます → 作成
この小説のブログパーツ
作者名：カナリアナ | 作成日時：2019年3月28日 23時
