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『……何の用かって訊いてるの』
Aは開き直った態度で尋ねてきた。
それがちょっと意外で、ペースを乱される。
他の人には黙ってて欲しい、とか何とか頼まれるもんだと思っていたから。
仮に頼まれたとしても、俺は首を縦に振るけどね。
頼まれずとも、誰にも言うつもりはない。
俺だけが知ってる秘密。
って、何か面白くなりそうな予感がする。
『スマホ、落ちてなかった?』
彼女と同じような調子で尋ねてやった。
今度はAが驚いたみたいだった。
先ほどの話題を引きずらないことが彼女にとっては意外だったんだろう。
『……ちょっと待って』
Aがドアの向こうに消えた。
少ししてからまたドアが開く。
今度はわずかな隙間だけ。
彼女の細くて白い腕が無言で伸びてきた。
その手には、俺のスマホ。
『あっ』
と、差し出されたそれを受け取ると、Aはすぐさま腕を引っ込めた。
バタン、とドアが閉まる。
『ありがと、Aちゃん』
あえてまだ“Aちゃん”と呼んでやった。
ドアの向こうでどんな表情をしているのだろう。
しばらくリアクションを待ってみたけれど、Aは無言のままだった。
俺はスマホをポケットに入れ、大人しく帰ることにした。
*
ドアに背を滑らせしゃがむと、その向こうの赤髪の気配が消えるのを待った。
何が“Aちゃん”だ、と尖った感情が湧く。
最悪だ……。
これから、どうすれば良いのだろう。
あいつは誰かに言いふらしたりしない気がするというのは、間違いないと思う。
そういう小さいことはしないで、私の弱味を握っていることを楽しんでいる感じだ。
それを幸いと言うべきか、否か……。
そっと立ち上がり、覗き穴から外を見てみた。
そこには誰の姿もなかった。
ホッと安堵の息をついて、玄関から離れるとキッチンに戻る。
ボウルに割った卵を箸でときながら、フライパンを温め直す。
カッカッ、と箸とボウルが立てる甲高い音が静かな部屋に響いた。
そうしているうちに平静さを取り戻してきた。
『……』
そうだ、何も毎日顔を合わせるわけじゃない。
同じ大学とは言え。
LINEだって交換してないし、電話番号も知らない。
連絡の手段はない。
家は知られてしまったけれど、向こうも毎日訪ねるわけないし。
『そうだ、そうだそうだ』
私は一体何を案じていたのだろう。
不安が解消すると、途端に晴れやかな気分になる。
私はとかした卵をフライパンに流した。
気に病む必要なんてないのだ。
だって、きっと、もう会うこともない。
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作者名:小桜ふわ | 作成日時:2019年9月28日 19時