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「大野」
「ごめんなさい」
男の手が俺の頬に触れた。
肌が粟立つ。
「…今更だけどさ、俺は君が好きなんだ。出会ったときからね」
「…」
「だからって誤解して欲しくないんだ。金で君をどうこうしようってことじゃない。ただこのままこうしていたいだけなんだ」
咽喉も口も固まって、言葉が出てこない。
「…ダメなのか？」
「…ごめんなさい」
やっとの思いで吐き出した。
男が立ちあがる気配があった。
殴られるかもしれないと思った。
一発殴られてスッキリ清算できるなら悪くはないとも思ったが、身体は反射的に目をギュッとつぶってしまう。
「…そっか…残念」
でも、頭の上から降って来たのは…ため息交じりの言葉だった。
「ごめんなさい」
「もう謝んなって。大野」
茶色い髪をくしゃりと撫でられた。
「じゃあさ、２つだけ約束して欲しい」
咽喉がごくりと鳴る。何を約束させられるのか、怖くて返事ができなかった。
「そんな顔するなって…１つはさ、必ず画家として大成すること。もう1つは…もう5000円なんて値段で、二度と自分を売らないこと。いい？」
男の言葉を最後まで聞いて、俺の目からは涙がボロボロ流れ出した。
それが安堵の涙だったのか別の涙だったのか、自分でもわからなかった。
何度も頷きながら、ただ泣いた。
「ごめんな…岡田…」
搾り出すようにその言葉を言うと
深く頭を下げて、店を飛び出した。
・
店の外には翔くんが傘を持って待っていた。
いつの間にか雨が降りだしていたのだ。
「…翔くん」
「帰ろっか」
翔くんが差し出した傘の中に俺は身体を滑り込ませた。
歩き始めても翔くんは何も尋ねては来なかった。
・
・
・
「智くん」
「…ん?」
「…いい絵だね」
「ありがと…」
初めて開いた個展の会場で
壁にかけられた俺の絵を眺めながら、翔くんが優しく俺の名前を呼んだ。
・
冬の雨の日、今でも俺はあの時のことを思い出す。
どうしようもなく弱くて、ずるかった自分を思い出す。
この雨の下で、あの人が、今の自分を見てくれていることを願う。
オワリ
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作者名：ありはる
| 作成日時：2015年11月12日 22時
