五線譜 (ページ4)

今日:11 hit、昨日:2 hit、合計:22,557 hit

4 ページ4

Hokuto side

耳が聞こえなくなると告知されてから、3ヶ月。

マネージャーに告げる勇気すらなくて、1月以降は少し休みたいとだけ伝えた。

完璧じゃない音楽をやるなんて音楽家としてのプライドが許さない。

紅白歌合戦が俺の最後の舞台。そう自分で決めた。

最後のステージは最高だった。

俺のピアノとジェシーさんの歌声が混ざりあって、告知を受けた時から灰色になった俺の世界が、3分間だけ色付いた。

この人とずっと一緒に音楽をやれたらどれだけ幸せだろうか。

もう絶対に訪れない未来を想像して、少し絶望した。

本番終わりジェシーさんの楽屋に挨拶に行ったら、また一緒にやりたいって言ってくれて嬉しくて。

でもそれと同時に悲しくて、慌てて彼の楽屋を出た。少し溢れた涙には気づかれなかったはず。

自分の楽屋に戻って、マネージャーに音楽を辞めると連絡を入れる。

理由を教えてほしいと言われたけれど、言いたくなかった。

あらかじめ考えておいた、メディア向けに発表する文章を添付したメールをマネージャーに送信し、スマートフォンの電源を切った。

俺の人生は今日で終わる。

明日からは電話番号もメールアドレスも全部変えて、ただの松村北斗として生きていこう。

そう決めていたはずなのに、音のない、音楽のない世界は俺にとっては絶望でしかなくて。

こわい。

告知を受けてからなるべく冷静に過ごそうと抑え込んでいた感情が溢れてきてしまった。

1度恐怖を再認識してしまったら、もう止まることはなくて。

喉がキュッと締まる。

苦しい。こわい。助けて。息が吸えない。

っはぁ、はあ、はぁ、ひゅっ、ひゅう

こわ、い、たす、けて、おね、がい、いやだ、いやだ、いやいやいや、こわ、い

高いところから落ちていくような浮遊感が体を支配して、上も下も右も左も、呼吸ができているのかも、どこにいるのかも、手足の感覚も、全部わからなくなって行く。

このまま意識が飛んで死んでしまえば楽なのに、とさえ思ったその瞬間、暖かくて優しい香りに包まれた。