Ep.02 ページ3
雨が降っていた。
ぶ厚い雲が、街の空一帯を覆って、月明かりの見えない夜だった。
翌日の明け方に降り出すはずだった雨が、早めに降り始めた、深夜の十二時。
ネオンの光が煌々と輝く道を全力で走り続ける。
誰も私のことを追って来ているわけではないのだと、わかってはいて。けれど、何かに追われている気がする。足を止めてはいけない。もっと遠くに逃げなくてはいけない。
ただその気持ちだけに急かされて、足をひたすらに動かしている。
身につけたミニドレスや下着が雨に濡れてゆく不快感も、ヒールの靴擦れの痛みも、首に張り付く髪の毛も、この時だけは気にならなかった。
初めて履いた8cmヒールは、走りにくいことこの上なかった。足首を捻って、転びかけて、人にぶつかって、危ねぇじゃねぇか！！って、怒鳴られて。
ごめんなさいと、心の中で叫びながら、通りを走り抜ける。
適当な小路に走り込んで、右に曲がって、左に曲がって。汚い路地だった。人は誰もいない。小屋根の下で、猫が雨宿りをしている。
ゴミ袋や酒瓶が捨てられたそこは、さっきいた場所なんかよりよほど衛生的に汚い場所のはずが、なぜか安心できて、袋が散乱するゴミ溜めにズルズルと座り込んだ。どちらかと言うと、足から力が抜けたと言った方が正しいかもしれない。
両腕で自分を抱きしめた。
荒くなった呼吸を鎮めて、落ち着いてくると、ついさっきのことが頭をよぎる。
———誰とも知らない男が、近づいて来た。男の手汗で湿った手が肩を触って。あの男はニヤニヤ笑って、私の体を舐め回すように見ていた。
苦いタバコの匂いが、アルコールの匂いが、鼻について離れない。
あの時……人間の、肉のついた男の手が、太ももを触って———それで、あの男は。
両手に力がこもる。握る両腕に、ネイルをした爪が食い込んで。
「そんな場所にいては、体を冷やしてしまいますよ。お嬢さん」
背中を覆うような、大きくて白い布が、肩にかけられた。
驚いて身を引きながら顔を上げた。
白いスーツを着て、シルクハットを被った、おそらく青年。
「………ぇ………あ」
一世を風靡した大怪盗。
怪盗キッドが、そこにいた。
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作者名：やなり | 作成日時：2023年8月3日 23時
