Clear‐Crane‐Crime 8th【ars M.A】 (ページ18)

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263.お安い御用。ページ18

どうやって伊織さんとの話を切り上げて、どうやって家まで帰って来たのか、よく覚えてない。

いつもは通る相葉歯科の前を避けた事だけは、覚えてる。

グチャグチャに散らかった頭の中を、上手くまとめられない。

伊織さんに雅紀くんを『返して』って言われた事も

雅紀くんが伊織さんと会ってた事も

それを、私には言ってくれなかった事も

もう全部、夢だったら良いのになんて子供みたいな事を考えて

ベッドに潜り込んでも全然眠れなくて、これは夢なんかじゃ無くて全部現実なんだって思い知らされる。

やっと眠れたのはいつだった？

アラームで起きた身体は、ズッシリと重かった。

メイクなんてする気にもなれないけど、そういう訳にもいかない。
女であることすら、面倒に感じた。

出社すると、今日はまだ誰も居ない。
新発売されてたイチゴ味のキャラメルを補充する。

「...ハァァ...」
「大きな溜息」

驚いて振り返ると、智さんがマフラーを外しながら笑ってる。

「あ...おはようございます！何か、すみません」
「謝らなくて良いよ」
「でも朝から溜息なんて...」
「誰が溜息は悪い事だなんて決めちゃったんだろうね？」

外したマフラーをソファにポイ。
それを私が拾う。

「大きく息を吐き出してそれでちょっとでも気持ちが楽になるなら、溜息は大いに吐き出すべきだと思うんだけどなぁ」
「智さん...」
「心の健康の為にもねぇ？」

上着を脱いで、それは私に直接手渡し。

「一般的には、間違ってるのかもしんないけど」
「フフッ」
「おれの前での溜息は気にしなくて良いよ」
「...ありがとうございます」

受け取った上着を、ハンガーに掛ける。
智さんの服は、いつも柔らかい香り。

・

「ねぇAちゃん」

一日の仕事をそろそろ終えようか、って時。

「今日、何か予定ある？」
「いえ、特にはありませんけど」
「じゃあ、飲みに行こ」

いつの間にか私のデスクの前まで来てた智さんが、パソコンの向こうからヒョコっと顔を覗かせた。

「溜息より、その溜息の原因を誰かに話してみる方が楽になるんじゃない？」
「......」
「話せないなら、全然関係無いコト話して気を紛らわせるのもアリ」

どう？と首を傾げる智さんに、ピンと張りつめたまんまだった心がユルリと解けた。

「...良いんですか？」
「お安い御用」

微笑んだ彼が

「何でもしてあげるって言ったでしょ？」

隣まで来て、ふわりと私の頭に掌を乗せた。