古蝶の夢 ページ46
ヒラヒラと蝶が舞っていた。毒々しい色の羽根を美しく広げるそいつは確か逆崎Aという、俺らのヒーローが話していたことを思い出させる。
古蝶の夢、と彼女はそう言っていた。当時は「ええ……、なんそれ深あ」とそんなふうに口にしたと思う。小説家である彼女らしい回りくどく美しい日本語を使って説明されたそれに、昔の人は随分深いことを考えるのだなと。
まるで今を楽しむ俺らの方針とは全然違う気がして、すげえ、とそんなありきたりで頭の悪い感想しか出てこなかった。
「なあとしみつまた遅刻?」
「遅刻だねえ」
今日は虫さんと俺ととしみつの撮影。時間になっても現れないとしみつの姿にそうもらせば、もうなれたと言わんばかりに虫さんが苦笑する。
「なあ〜Aかまっ、」
かまって。そこまでいいかけてやめた。いつしか彼女の名前は禁句のようになっていて、誰もなにも言わなかったけれど、それはもう暗黙の了解とか言うやつで。
彼女ならとしみつに「もう、いい大人なんだから」と友人という距離感でいつか忘れてしまいそうな大人の常識で、厳しくも優しくとがめることができただろうに。
「……」
口の中が、渇く。からからとした喉に机の上に置いてあった適当なエナジードリンクを流し込んだ。
「私東海オンエアやめるね」
俺らのヒーローだったはずの彼女は、そんな肩書きを意図も簡単にその一言だけで脱ぎ捨てた。「は?」と俺の困惑する声にも彼女は困ったように笑うだけで、癇癪を起こした俺にもとしみつにも彼女は一切の言い訳をすることもなかった。
その笑顔は高校の時、他人に距離を置くときの笑いかたとおんなじで、ボロボロといい年をして情けなく涙をこぼすメンバーに彼女はヘラリと「ごめん」と両手を合わす。
脱退の動画もなく、突然いなくなったAにファンは困惑のコメントを数多く寄越した。その中には心ない推測などもあって、それがよりいっそう俺らを不快にさせるのだ。
俺らだって、何一つ真実を知らないくせに。
やあどうも東海オンエアのてつやと、しばゆーと、としみつと、りょうと、ゆめまると、虫眼鏡だ。
そしてこの中に確かにあったはずのAの名前が、姿が、ある日突然消えるだなんてそんなこと考えるはずもなかった。
「ねーねー」
「んー?」
カタカタとキーボードを叩く虫さんにそう問いかえる。
「Aは確かにおったよね?」
夢なんかではないと、そう言ってくれ。
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える(プロフ) - Mrs.ぱんぷきんさん» ありがとうございます!不定期な更新でしたが読了してくださりありがとうございました(*^^*) (2020年6月7日 10時) (レス) id: ace072b99e (このIDを非表示/違反報告)
Mrs.ぱんぷきん(プロフ) - 完結おめでとうございます!最後のところ、鳥肌が立ってしまいました…素敵な作品をありがとうございました! (2020年6月7日 1時) (レス) id: 534e341e06 (このIDを非表示/違反報告)
える(プロフ) - らぁさん» ありがとうございます!ぜひまたお暇な時に読み返してください(*^^*)伏線や会話の回収などもありますので、いつでも彼らの物語を覗きにきてください! (2020年6月6日 14時) (レス) id: ace072b99e (このIDを非表示/違反報告)
える(プロフ) - BlueMoonさん» コメントありがとうございます!嬉しいかぎりです……!最後まで読んでくださりありがとうございました! (2020年6月6日 14時) (レス) id: ace072b99e (このIDを非表示/違反報告)
らぁ(プロフ) - とても素敵な物語でした!読み進めていくたびに引き込まれてました。また読み返したいと思う作品です。完結お疲れ様でした! (2020年6月6日 0時) (レス) id: 2e4cb704c1 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:える | 作成日時:2020年1月5日 15時