36話 記憶の在処 ページ36
分からない、ブチャラティさんの言葉が頭の中で何度も繰り返される。自分の家族について分からないわけがあるか？いや、それを想定できるわけがない。
｢分からない、というと？｣
｢そのまんまだ。お前の名前の戸籍を探したが見つからなかった。戸籍のない子供なんてごまんといるがお前の場合は偽名だ。違うか？｣
｢……いや、騙すつもりはなかったんですけど｣
｢騙されたなんて思ってない。ウソくらいオレには見抜ける。それこそ、汗を舐めなくたってな｣
汗？などと言うところに突っ込んでいる場合ではない。なぜ偽名を使ったのか、ブチャラティさんはそれを聞きたいらしい。隣から退く気配もない。
｢偽名っていうか、仮の名前っていうか…ウソって言うわけでもなくて…｣
｢なんだ？歯切れが悪いな｣
｢本当に、全部全部わかんないんです。自分の名前も含めて、家族がいるかもなんなのかもまったく｣
｢…珍しいな、記憶喪失とかいうやつか？｣
｢そうかも、ですね｣
だから仮の名前を名乗って、一番に見つけたいい人について行こうと思って、そこで見かけたのがブチャラティさんだった。
記憶喪失だってのに、焦りだとかは全くなくて、思い出そうとも思っていない。記憶のある私に関係する人物など1人も見つかっていないから、思い出す必要もない。
新しい人生を歩んでいこうと思ったからだ。
私が記憶のないことをひた隠しにしていたことを後ろめたくて俯いていると、ブチャラティさんがくくくと笑う。私は顔を上げてブチャラティさんの様子を伺う。
｢いや、悪いな…ぶふッ、お前は記憶のない中、偶然見つけたオレに着いてきたってことか？…それってつまり、初めて見たものを親とカン違いするカルガモ同然じゃあねーか！はははっ｣
なぜもっと早く言わなかったのかと言われるとばかり思っていたから、私は思わず顔を引き攣らせる。記憶喪失でどうすればいいか分からなかった私をカルガモ呼ばわりとは何事だ。
｢…いきなり入ってきて記憶喪失とか、怪しすぎますよね…｣
｢そうか？オレは面白いと思うがな｣
優しさなのか、本心なのか、あっけらかんとしたブチャラティさんの言葉に、私は唖然とするしかなかった。
どっと押し寄せる安堵感に、なんだか泣きたくなってしまってソファの上で体育座りをして顔をうずめる。
ブチャラティさんは何も言わず、何もせず、ただずっと横に座っていた。
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作者名：invisible Comet | 作成日時：2019年4月8日 16時
