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乗り合わせた女の人が下りる気配で、目的の階に着いたことに気付く。
ゆづくんと同じ階の人か……。
またぼんやりしてしまってた。
続いて降りると、少し距離を置いてノロノロとゆづくんの部屋を目指す。
先を行く人の、その足取りが曲がった角。そこを曲がってすぐがゆづくんの部屋だった。
あれ……?
差し掛かったその先で聞こえてきたのは、
ゆづくんの声で……
「ごめん、遅くに。時間とれなくて」
立ち止まった足が震えるのがわかった。
「ううん、あたしが無理言ったから……」
「……とりあえず、入って」
ゆっくりとドアが締まる音と同時に、静まりかえった廊下に虚しく響いたノイズ。
それは手にしていたバッグが滑り落ちた音だった。
こんな時間に、一人で部屋を訪れるなんて……特別な関係じゃないとありえない……よね。
一緒に乗り合わせた人が……ゆづくんの……彼女だったなんて。
全然、気付かなかった……。
脳が考えることを放棄してるみたいに、頭の中はぐちゃぐちゃだった。
ただ静かに押し寄せてくる、悲しみという感情だけが身体を支配していく。
たどり着いたゆづくんの部屋のドアの前。
そっとバッグをドアノブにかけると、震える膝を叱咤してエレベーターまで歩いた。
一刻も早く、この場から逃げ出したかった。
溢れそうになる涙は噛みしめた唇の痛みで紛らわせる。
今泣いてしまったら、惨めすぎる……。
こんな状態のまま、織田くんの待つ車に戻ることは無理のような気がした。
幸い自分のバッグは肩から掛けたままで、戻らなくても支障はない。
「もしもし、織田くん?」
『Aちゃん? 何、どうかした?』
努めて冷静を装ってかけたその先で優しく響いたその声に、また泣きそうになった。
「ごめん。私、友達の家に寄ることになってたの思い出して……。このまま行くから、もう出ちゃっていいよ」
『マジで? ごめん!俺が持ってけばよかったね!』
「ううん、今思い出したの。待っててもらったのに、ごめんね」
『まぁ、それは全然いいんだけどさ。じゃあ〜行くけど。気をつけてね? ちゃんとタクシー使ってよ』
「うん。お疲れ様」
『お疲れ〜』
電話が切れたとたん襲ってきた脱力感に、思わずその場に座り込む。
しばらく動けそうになかった。
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作者名:mirin | 作成日時:2021年3月8日 0時