前日譚 ページ1
この街を初めに「
薄汚い路地に寝っ転がって空を見上げながら、俺は頭の中で呟いた。
ここは都市エデン、誰もが羨む華の都──の、スラム街。その奥まったところ。見上げた空ばかりがどこまでも澄んで青く、土と埃と汗にまみれた俺とは大違いだ。
そんな考えは、ぐぎゅるるると鳴った腹の音で簡単にかき消えた。
衣食住足りて初めて礼節を知る。着るもの住むところ食べるもの、どれを取っても満足に得られやしないこのスラム街では毎日が弱肉強食の世界だ。強ければ満足行くまで食べられるが、弱ければ飢えて死ぬ。力のない奴にできるのは、その身でもってカラスや野良猫を肥えさせることくらいだ。
で、どちらかと言われれば俺は後者。必死こいて手に入れたその日のパンをたむろするロクデナシ共に奪われて取り返しに行くような体力も気力も腕力も無く、ムカつくほど綺麗な青空を眺めながら、いずれ来る最期を呆然と待ち続けることしかできなかった。
──ふいに覗き込まれたのは、そんなときだ。
『ねえ、大丈夫?』
頭上から声が降ってきた。少女の声だ。癖のある赤毛は土埃にまみれ、着ているものもあちこちほつれたり繕ったりした跡の目立つボロだったが、俺を見るその目だけは綺麗な青色をしていた。暗い深海の色、あるいは星の輝く夜空の色。
答えようと口を動かしても、掠れて声にならない。そういえばひどく喉が渇いているのだった。はくはくと唇を動かすだけの俺を見た少女はどこかへ走り去っていく。辺りはまた静かになった。……そりゃそうか、そんな都合よく助けてくれるわけがない。なんて考えた瞬間、俺の目の前に何かがにゅっと差し出された。どうにか動く瞼がわずかに見開かれる。目の前の肌色がさっきの少女の両手だと気づくのに、ほんの少しの時間がかかった。
『お口、あけて』
その言葉に素直に従って口を開ける。途端、ぽたりぽたりと何かが口の中へ落ちた。……水だ。雫の落ちたところから、冷たく潤って生き返っていくような気がした。
小さな手のひらで掬った水はあっという間に消えてしまう。それでも不思議と喉は潤って、俺は咳き込みながらもゆっくりと身体を起こした。
『……ローレン。俺の名前』
聞かれてもいないのに、どうしてか呟いていた。突然名前を明かしてきた相手に少女はぱちくりと目を瞬かせて、それからにっこりと可愛らしい笑顔を咲かせた。
『かっこいい名前!あのね、あたしの名前はね──……』
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作者名:七福 | 作成日時:2024年3月9日 16時