しんどい ページ44
鬱々としたときには明るい歌を書く、日々満たされているときは暗い話を書く。
太宰治がそのような事を言っていたが、ある意味真実かもしれないそうでもないかもしれない。全ては個人の問題で片付けられる、個体差と言う奴だ。走れメロスのような話も人間失格の様な話も書けるその人はただそうであったというだけで、別に全ての人がそうであるとは一言も書かれていない。そもそもそれは太宰治自身の話だっただろうか。自身の話をしていたのか、それとも登場人物がそうであったのかははっきりとは覚えていない。
はっきりとは覚えていない。
断定できない、もしくは嘘の情報である、ということは罪だと思っている。間違った情報は人を交通網を政治を国を少々規模が大きくなりすぎたが、ともかく調べずに発信した情報は罪だと思っている。そう言っている割には自分はそのような事を自信を持ってしているし、私の情報に嘘はないとは言い切れないのだが。
人間は確かに間違える生き物である。小なり大なり間違えるときは間違える。しかし間違ってはいけない時もある。間違った方が良いときもあるかもしれないが、大抵は間違えられない時の方が多い気はする。統計は取っていない。客観的な数値が無いというのも信頼性に欠ける。皆が言っていた、周りの人はそう言っている。周りの人や皆とは誰だ。そういうことになってしまう。では情報が揃うまで黙していればいいのかと思えばそういうわけにもいかない。情報が揃わない状態で決断を迫られることは絶対にある。これは絶対と言い切れる。ではどうすればいいのか。選択するしか道は無いのである。残念なことに。
自分が書く言葉は果たして本当に自分の言葉といえるのか?
客観的な数値が〜からの文章に混じっている文章はとある本を読んでそこから取っている節はある。おおいに取っている。京大医学部で教える合理的思考、という奴だ。題名に引かれてページを捲ったところ、とても興味深いと思って少々読み進めた物だ。だからこんな事がすらすら書けたのだろう。何を言いたいのかさっぱりわからない事になっているが、それはいい。思い付いたから書いた。
人は影響を受けやすい生き物と思っている。ここで断定はしない。偏見にはなるが。
見た文章を取り込み記憶して底に仕舞っておき、必要になったらいつの間にか飛び出してくる。無意識のうちであっても。つまり私が、私達が日々言っている話は聞いた話の事を話しているかもしれない。この話は続かないよ
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作者名:4696パーカー | 作者ホームページ:http://uranai.nosv.org/u.php/hp/102620014/
作成日時:2015年3月7日 8時