三十五話 にっかりSide ページ42
自分の真後ろに立っている肥前に、極力いつもどうりになるよう目を向ける。
「やあ、肥前くん。どうしたんだい?」
背中を嫌な汗が伝う。今にも斬りかかってきそうだ。終始据わった目の彼に気圧される。少しでも選択を間違えれば、首を落とされそうだ、なんて、洒落にもならないな。
「…なぁ、にっかり。手入れ部屋に行っとったな、今。」
(怖いねぇ。)
一切の疑問符のない、感情を殺しきった声。まるで機械のようだ。しかも、誰のとは言わずに手入れ部屋と言った。揺さぶられているのだろう。返答を間違えれば、すぐにでも切り捨てられそうだ。
「ああ、行ったよ。それがどうにかしたかい?」
きっと彼は、僕らが部屋で話していた内容の全てを知っているだろう。それを承知の上で、こうして揺さぶりをかけている。いやはや、とんだ性悪だね。僕も人のことを言えないけれど。彼から殺気に似たそれを感じ取る。
(これは…まずいな。)
体ごと相手の方へ向ける。反射的に、彼には背を向けていてはならないと思った。柄に手をかけられていないというのに、喉元に切っ先を向けられているかのような威圧感。さすがは最上大業物、気での切れ味ですら恐ろしい。
「そうきの。陸奥守は元気じゃったかの?」
「ああ、それはもう。そういえば、水心子くんも一緒にいたよ。」
「知っとる。」
間髪入れずに答えられ、思わず苦笑してしまう。この刀の真意がわからない。やっていることはあくまで牽制。恐らく、我らに手を出すなと言う脅しだ。
(ツイてないなんてものじゃあないな。)
本日二度目の脅迫。あ、ちょっと泣けてきた。全く、僕らはどれだけ信用されてないんだろうねぇ？
「…のぉにっかり。わしは腹芸は嫌いじゃ。けんど、こうして付き合うてやったんじゃ。やけん、アイツに…陸奥守(A)に手ぇ出すのはやめとおせ。」
「アレはわしの女房やき、手ぇ出されると困る。」
「もし手ぇ出しよったら…」
そう言いながら彼はこちらへと足を進める。貼り付けたような恐ろしい笑みを浮かべ、ひたり、ひたりとこちらへ歩む。金縛りにでもあったかのように、己の体は動かない。ちょうど二人の間が数寸になったとき、彼はこちらを見すえた。
「ナァ、旦那様？」
ああ、今晩の悪夢に出てきそうだ。そんな笑みで、こちらを見て。
「喰ろうてしまいますえ？」
(ああ本当に、ツイてない。)
今日一番の牽制をぶちかました。
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作者名：鸞鳳 | 作成日時：2019年9月7日 1時
