幸福成れば… 【中原中也】

幼子の情報屋 3 ページ15

それから幾度も話を聞こうとするも、呆気なく弾かれるばかりで、一向に機嫌を直すことは無かった。それどころか、夜になっても当の彼は部屋に籠りっぱなしで出てくる気配を起こさない。

そのまま時間だけが過ぎて行く。

「中也さん、起きてる……」

部屋の扉の前で中原に呼び掛けたのは、心底心配そうな声色のAだった。「あぁ」とだけ返答する。呼応する様に部屋の扉がゆっくりと開いた。足元がおぼ着く暗い部屋、彼女の不安定な足音だけが、寝台の上に入口の方へ背を向けて丸くなっている中原の耳に届いている。
不意に、Aの冷たい右手が、中原の背中に触れた。


「中也さん、一緒に寝てもいい?」

「……」


返答は返ってこない。彼女はそれ以上聞かずに、ただ、少しだけ溜息を付いて、其れから「おやすみなさい」と云って部屋から出ていこうと、扉を振り返る。それと同時に一歩踏み出そうとすると、ふらふらとしたその手を、中原の手が引き止めた。彼女の目は再び中原を見詰めた。暗い部屋の中でも良く目立つ蒼い瞳である。その目は、憂いと優しさを帯びて中原を見下ろしていた。

強く手がひかれ、寝台の上に引き込まれる。


「私、何か嫌な事した…」


暫くして、漸く声がした。


「探偵社…太宰とは何時から知り合ってる?」

「丁度半年前位だよ。ほら、歩いてる時にいったでしょ…過去に一回だけ他の人と街を歩いた事が有るって。それだよ」

「……そうか」


そう、中原の頭痛の種となったのが『其れ』だった。
普段、誰とも接点を持つことの無い無所属の情報屋が、それと同時に惚れ込んでいる一女性が、自身より先に彼女と知り合い、共に街を歩いた事実。聞くにAは極度の人見知りだ。其れを聞いて、心做しか“ああ、自分以外の人間と殆ど話すことが無かったのか”と、優越感に浸っていた。
一切と他人から触れられない彼女は最早自分だけのものなのではないかと。

だが、違っていた。


「もしかして、私が人と話してた事が嫌だったの…?」


虚をつかれた様な問いに黙り込む。
素直に話すことの出来ない自身に腹が立ったのは之が初の事である。

暫くして重たい口が開いた。中原自身でも驚くほど低く冷たい声である。



「───そうかもな……」









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