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その後、私は彼に抱き抱えられたまま、しばらく曖昧な世界を渡り歩いた。
そこかしこから人の悲鳴が聞こえてきて、どこからか言葉として意味を成していないような呻き声に似た声も聞こえてきた。
視界の隅では光が揺れ、肌では男の手や腕から伝わる熱を感じ取っていた。その手の主のことはわからないけれど、その人は時より私の頭を撫でたり、守るように強く抱き抱えたりしていた。それが私が今一番近くで感じることができるものだった。
「A!!」
突然の大声に私は震えた。いや、私の体が震えたわけではない。私の心が震えたのだ。他の声とは違いとても鮮明で、耳を突くくらいに頭の中に入り込んでくる声だった。
私はこの聞こえた方向に顔を向けた。
相変わらずぼやけたこの視界では光と影が織りなす淡い輪郭しか見えない。けれどその先に立つ黒い服を纏った女の子は私に向けて何度も口を開け閉めさせながら、体を縮こませたり伸ばしたりを繰り返していた。
まるで必死に語りかけているかのようだった。
「……だ、れ?」
あなたは、誰なの。その思いでそう口にすると、その女の子は途端に固まってしまった。目や口が歪む。怒っているのかもしれないし、泣いているのかもしれない。
その子はそれから何度も叫んだ。私を抱えていた男の人に向けてかもしれないし、私に向けてかもしれない。あるいはその両方かもしれない。
結局、なにも理解できないままで、私の意識はまた沈み始めていた。
最後に、男の人の声が私の鼓膜を揺らした。
「すぐに迎えにいくから。先に向こうで待っててね。」
その人からの口づけを最後に、私はその人じゃない冬色の誰かに抱き抱えられ、その場を離れていった。
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しょーどくえき - わ!すっごくおもしろいです!続きがとても楽しみです!頑張ってくださいね! (2021年6月20日 16時) (レス) id: 5790125387 (このIDを非表示/違反報告)
猫かぶり - 今は死滅回遊ですよ!!!続きがとても楽しみです!!! (2021年5月21日 20時) (レス) id: 94bc23990d (このIDを非表示/違反報告)
柑橘(プロフ) - 無気力なおバカさん» コメントありがとうございます!この展開は読者様には不評かも、なんて考えている折だったので、これからの展開が楽しみというお言葉に救われました!更新頑張ります。 (2021年1月2日 23時) (レス) id: c6d1d3b3eb (このIDを非表示/違反報告)
柑橘(プロフ) - 糸野さん» コメントありがとうございます!スリルのあるなんて素敵な言葉をいただけて嬉しいです。更新が滞っていますがこれからもドキドキさせられるよう頑張ります! (2021年1月2日 23時) (レス) id: c6d1d3b3eb (このIDを非表示/違反報告)
無気力なおバカ - 面白いです。これからの展開がすごく楽しみです。キャラ達の関係とかもすごく好みです。更新頑張って下さい! (2021年1月2日 3時) (レス) id: 9900cccf42 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:柑橘 | 作成日時:2020年11月28日 17時