82:月夜に呪いを ページ32
どうして松村さんと一緒だと、時間というのはあっという間に過ぎてしまうのだろう。
気付けばもうマンションの下に辿り着きそうで。
いつもはもっと駅に近ければいいと思うくせに、こういうときだけもう少し家が遠ければよかっただなんて思ってしまうのはずるいだろうか。
「送ってもらっちゃってすみません」
「いや、Aさんと話したかったし。それにひとつ聞きたいこともあるし」
「聞きたいこと？」
「…元彼さんとのことが解決して、少し、気持ちに余裕って出来ましたか？」
余裕、出来ただろうか。
樹とのことはケジメじゃないけど、きちんと話をしてお互い気持ちの整理も出来たしスッキリした部分はある。
今は樹よりも京本のことのほうが頭を悩ませているから、余裕があるかどうかで言えば微妙なところではあるけれど。
「もし、余裕が出来たなら、そこに俺のことをいれてくれませんか？」
松村さんの目が真っ直ぐこちらを向いた。
瞳が少しだけ揺れているのが見える。
「…え、っと」
「ってワガママですね、俺。すみません」
口早にそう言うと松村さんは踵を翻して歩き出す。
少しだけ離れた距離にまた寂しさが募る。
その距離を縮めたくて咄嗟に手を伸ばし、松村さんの服の裾を掴むと、松村さんが振り返り驚いた顔をこちらに向ける。
「ねぇ、そういうの勘違いしちゃうって言ってるでしょ、」
困ったように小さく笑うから、その表情に胸がギュッと苦しくなる。
何か言わなきゃ、と思うのに上手く言葉は出てこなくて。代わりに指先に力が籠る。
それを察したように松村さんは、優しく自分の指先を重ねた。
触れる熱がまた胸をギュッと締め付ける。
松村さんの顔が近付いてきた、とギュッと目を瞑るけど何も起きない。
え、と目を開けたら一瞬悪戯に笑った松村さんと目が合う。
そして松村さんの唇が髪越しに耳に触れ、キスをひとつ。
「俺のことしか考えられなくなる呪い」
囁かれた言葉に思わず耳を押さえると、松村さんは口端をあげて笑った。
その表情は、煌めく月明かりに照らされて妖艶で。
「じゃあ、また」
松村さんが再び歩き出すのをただひたすらに眺める。
押さえた手の下で松村さんの唇が触れた部分から、どんどんと熱が広がっていく。
耳に心臓が移動したんじゃないかってくらい刻まれる鼓動の音もうるさい。
まるで、本当に呪いがかかってみたいだ、なんて思ったら、大きくドキン、と心臓がひとつ波打った。
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作者名：もえぎ | 作成日時：2021年9月25日 13時
