変化が見える不変の兆し ページ45
「いらっしゃいませ。」
「Aさん、こんばんは。」
北風が冷たく路上の木々に吹き付けて、紅葉が忙しなく揺れている。扉を開けたのは、袖にボリュームのあるトレーナーを着た山本さんだった。いつもと変わらない笑顔で挨拶をすると、彼は慣れた様子で先客の隣に腰を下ろす。
「どうぞ、ジンリッキーでございます。」
彼が席に着くまでを見届けた後で、私は伊沢さんに最初の一杯を差し出した。
「ありがとう。」
あの日のことがあったからと言って、私たちの関係性は何ら変わることがなかった。伊沢さんは、今まで通り店に来てはドリンクと共に世間話を繰り広げている。それはまるで、あの日のことが夢だったかのように錯覚させるほどの対応力で。
「ジンなんて、伊沢さん珍しいね。」
コートを脱いだ山本さんが、何気なくそう呟く。グラスを持ち上げた彼は、小さく微笑みを浮かべた。
「甘いの、あんまり好きじゃなくてさ。」
今まで必ず注文していたにも関わらず、まさか甘いお酒が好きではなかったとは。
あの一件以来、彼はファーストドリンクにベリーニを頼まなくなった。それは初めて彼らが店に来た日、私が喜びの気持ちを交えて提供したあのカクテルである。しかし今では、もうすっかり日の目を見ることすら無くなってしまったのだ。
それはきっと、彼なりの気持ちとの決別だろう。不思議な方法だとは思ったが、そのことを当事者が言葉にするのは無粋である。そう思い、私からは何も言わなかった。
「Aさん、僕にも何かジンのカクテルを下さい。」
「…かしこまりました。」
一方で。あの日以来、私と山本さんの関係性も無論変化することはなかった。むしろ想いを一方的に秘めている今の状態で、何かが変わることはないだろう。
しかし、私の心境は大きく異なった。彼とここで会う度に、会話を交わす度に、私の心は複雑な感情の中で揺れ動いていた。あんな話を聞いてしまった後では、やはり今までのように純粋に、時を楽しむことが出来やしない。
「そういえば、もうすぐ放送日だね。」
「楽しみ。みんなでオフィスで見よう。」
既に手元に置かれたジンの瓶を取ろうとして、カウンター越しの伊沢さんと目が合った。会話は山本さんと伊沢さんの間で繰り広げられているにも関わらず、彼の関心は確実に私と山本さんの間にあった。彼の気持ちを私は知っているし、私の気持ちを彼は知っている。その中で、その瞳は何を語りかけるでもなく、じっと私を捉えていた。
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萌衣(プロフ) - akiakiさん» 初めまして、コメントありがとうございます…!ニコラシカは「決意」「覚悟を決めて」というカクテル言葉を持っており、その後の展開を示唆するような存在になっていました。そう言って頂けてとても嬉しいです(;;)良ければ続編もよろしくお願い致します…! (2020年12月4日 7時) (レス) id: ba6d0efe33 (このIDを非表示/違反報告)
akiaki(プロフ) - 少し遅れましたが、心打たれたので感想を書かせていただきますね。“決意”ですか。良いですねぇ (2020年12月3日 23時) (レス) id: 9ea9a75c9d (このIDを非表示/違反報告)
萌衣(プロフ) - みるくてぃーさん» 初めまして、コメントありがとうございます…!実は主人公が選ぶカクテルは、全て思いや感情とリンクするように描いていました。それに気付いて下さって、更に調べて下さるなんて、嬉しい限りです(;;)長くなりますが、良ければ完結までよろしくお願い致します…! (2020年11月14日 8時) (レス) id: ba6d0efe33 (このIDを非表示/違反報告)
みるくてぃー(プロフ) - コメント失礼します!カクテル言葉、存在を知ってはいましたが、ひとつずつの意味を知るのは初めてで調べることも楽しかったです(*^^*)また更新楽しみにしています! (2020年11月13日 22時) (レス) id: c5c88d3947 (このIDを非表示/違反報告)
萌衣(プロフ) - たーさん» 初めまして、コメントありがとうございます…!この作品が毎日の楽しみの一つになれているなんて、とっても嬉しいです(;;)素敵なお言葉、本当にありがとうございます。長くなりますが、良ければ完結まで見守って頂けたら嬉しいです…! (2020年11月10日 23時) (レス) id: cd279427a1 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:萌衣 | 作者ホームページ:
作成日時:2020年10月21日 16時