第58話 ページ13
「ねぇ、三日月。
さっき、僕のこと"雛"って呼ばなかった？」
その僕の言葉に、手入れ札の入ったかごを抱えて隣を歩いていた長義がぎょっと目を剥いた。
うん、わかる。僕もびっくりした。
たぶん、さっきは僕に耳打ちする形で言っていたから、長義には聞こえなかったんだろう。
こちらを凝視して何か言いたげな長義に首を振る。
「どういうことだ」って言いたげな視線をひしひしと感じるけど、聞きたいのは僕も同じだ。
そんな僕らの葛藤などつゆ知らず、三日月は至極明るい声を暗い廊下に響かせた。
「あぁ、確かに呼んだなぁ」
「あの…なんでか、聞いても？」
「ん？いや何、やはり"代理殿"というのも、些かじじいの口の回りでは呼びにくくてなぁ。はっはっは」
「いや、なんでそれで雛…」
「さぁ、着いたぞ」
言いかけたところを遮られ、一つの部屋の前で立ち止まる。
誤魔化したな、このじじい…
"雛"なんて、まるで三日月が僕のことをめちゃくちゃ可愛がってるみたいじゃないか。
ほかに呼び方なかったのかな、と思いつつも、嫌ではないので大人しく部屋の入口に立つ。
少し不服だが、これ以上このじいさんの口八丁に素直に付き合っていては時間が足りない。
恐らく、伊達組と同じくらい難度の高い織田組の部屋を前にして、僕は小さく息を吸い込んだ。
「どうもー、手入れ屋さんでーす。
手入れしに来ましたー開けてくださ…っ」
「よぉ。さっきぶりだな」
言い終わる前にスッと障子が開けられ、驚いて喉を詰まらせていると、そこから薬研藤四郎が顔を出した。
この本丸に着いて間もなく、五虎退と前田と連携して僕に一太刀浴びせてきた刀、薬研。
すんなり開けてくれたことにホッとするのもつかの間、「まぁ入ってくれ」と素直に招き入れられたことに警戒する。
薬研も、正門でのやり取りと見ていたとはいえ、まだ僕のことを信用したわけではないだろう。
先ほど燭台切たちにあらぬ誤解を与えたこんのすけも、今は足元で大人しくしているし、彼にとって僕を知る一切はこの数時間なかったはず。
僕が手入れ部屋に行く前に不動を部屋に運んだのも、僕を信用していなことの表れだ。
それが、なぜこんなにも簡単に招き入れる？
部屋に一歩入った瞬間、横から長谷部や宗三が飛び出してきて斬られたりしないだろうな…と嫌な予感が脳裏をよぎるが、それを表に出さないよう慎重に足を踏み入れた。
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作者名：寒蘭 | 作成日時：2023年11月1日 19時
