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あ、と声を出す間もなかった。鞄の持ち手に絡まったままの腕が軋んで僅かに引きずられる。前のめりになったAの頭上──リビングに続く扉がきぃと音を立てた。唇を戦慄かせながら、重い頭をのろのろと上向かせる。顔を見てしまったら答えに辿り着いてしまうような気がした。
「……浅野さん……」
「A……」
目線を上げると同時、かかった声にAの肩が跳ねた。聞いてしまった、聞かれてしまった、その内容の重さに三人ともが言葉を失う。驚愕、焦燥を煮詰めた表情の二人に、ルビーの視線が揺らいだ。
何でそんな顔をしているの。
「……ねぇ」
数瞬の後、沈黙を破ったのはAだった。混濁する思考に流されないように、震える声で呼ぶ。ちょうど俯きかけていた彼女の視界で學峯の指先が僅かに跳ねた。
「……今、の話、……どういうこと」
おかあさん、とまず呼びかけた声が寸でのところで押し止められた。母、と呼んでいいのか、それが正しいのかわからずに憚られた。
「あの、ね……A、聞いて」
「っ!」
呼吸の浅い子供を宥めすかせようと、頼子の手が差し出される。目一杯に見開かれたレンズ越しの瞳が絶望を帯びてくしゃりと歪ませて、弾かれるようにAは踵を返した。どんどんと数歩床を打ち鳴らして、鞄を抱えたままローファーを突っかけて鍵が開いたままの玄関を乱暴に押し開く。
「待ちなさい浅野さん!」
「Aっ!!」
背後に投げられる声も、置きっぱなしの傘も厭わずにAは外へ飛び出した。いつの間にか激しくなっていた土砂降りの雨が髪を、顔を、足を撃つ。
唐突に叩きつけられた現実が整理できなかった。それだけなら衝動的に身体が動くことはきっとなかった。限界を越えさせたのは、頼子の言葉──正確には声、だ。こちらを落ち着かせようと笑みを携えた、とても短い言葉だった。普通ならここまで動揺させられることもなかったのだろう。
しかし、Aにはよく聞こえていた。言葉の裏、どうやってこの場を切り抜けようと、取り繕うとする音が。十年以上、あるいはこの数年間隠されてきた嘘が明るみに出た上でのそれが、堪えきれなかった。
取り繕うとした母も、それに気付いてしまった自分も、置いてきてしまいたかった。
水溜まりを弾いた足が止まらない。どこでもいい、何もわからないところまでもたついた身体を少女はひたすらに走らせた。
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窓(プロフ) - 星咲夜空@スマホさん» コメントありがとうございます!これから浅野さんがどうなるのか、他のキャラクターとの絡みも含めて楽しく読んでいただけるよう更新頑張りますので、気長にお待ちください!! (2022年6月26日 19時) (レス) id: 1c42528565 (このIDを非表示/違反報告)
窓(プロフ) - カミレさん» コメントありがとうございます!浅野さんがこれからどうなるのか、私自身決めかねている部分もありますが最後まで楽しんでいただけると幸いです……!! (2022年6月26日 18時) (レス) id: 1c42528565 (このIDを非表示/違反報告)
星咲夜空@スマホ(プロフ) - あ、浅野さんー!が、がんばれー!これ続きが気になる……どうなるのこれ…… (2022年6月1日 22時) (レス) @page21 id: 2efeb2cec1 (このIDを非表示/違反報告)
カミレ(プロフ) - 胸が痛いです。すごく、すごく、浅野さんの気持ちが痛いくらいに伝わってきます。がんばって浅野さん!! この作品本当に大好きです!丁寧な描写がすごく好きです! (2022年5月31日 9時) (レス) @page20 id: ac25ff3042 (このIDを非表示/違反報告)
窓(プロフ) - 猫さん» 遅れてしまってすみません、コメントありがとうございます!更新が滞っていますが楽しんでいただけると嬉しいです! (2022年4月19日 22時) (レス) id: 1c42528565 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:窓 | 作成日時:2022年3月22日 20時