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自分でいて、自分ではない。あの感情は、私の感じ方ではない。この体の持ち主は、きっと私ではない。
『私は、違う世界から来た』
『白紙の文学書』の実験によって、呼び出された。
その事実は、妙にストンと私の中に落ちた。きっと本当なのだろうと、受け入れられた。
私は、『被害者』であり『被験者』なのだ。
寝ていたベッドの上で、検査の合間に幾度となく考えたが、記憶は戻らなかった。
白衣の男がそれを聞き、『ほう、副作用があるのか』と興味深そうに云ったのを、今でも腸が煮え繰り返る感覚とともに思い出す。
殴ったこぶしの痛みを今でも覚えている。
けれど、怒って出て行ったところで、私の行く当てはなく、奴らが私を手放すはずもなかった。
私の身体に異常がないと確認されると、私は社員寮らしき場所に移された。
奴らがその時、私に云ったことは2つ。異能力を持っていると気づかれてからは、3つになったがな。
1つ、私を違う世界から呼び出したが、どうやら元の世界に戻すことはできないということ。
2つ、衣食住の保証と、欲しいものがあれば手配するし、渡されたカードでした支払いは、全て奴らが負担すること。
そして追加された3つ目は、彼らの依頼を必ず受けること。
使い勝手のいい実験台だとその時にはもう理解していた私は、それらを全て了承した。
それさえすれば、私の衣食住とその他諸々が保証されるからだ。
この世界で私は何も持っていない。名前も、居場所も、記憶も。
だから、生きるためには利用できるものは利用しなければならない。
奴らは私を利用する。私もまた、彼らを利用する。
私は、始めにこの店を要求した。
奴らは、ヨコハマの片隅。人通りの少ない場所に、店となる物件を用意した。
レトロな雰囲気漂う、あめ色を基調とした店内に、窮屈でない程度に並ぶ本棚と、窮屈に並ぶ古本。
私が夢に見た空間が、わずか数日のうちに出来上がった。
私は、最後に木の札を自分で買ってきて、ドアのステンドグラス風の飾り窓にかけた。
古書堂。
名前のない私と同じで、名前のない店。
私の拠り所であり、私が私であることを守るための、小さな砦。
この魔都という名にふさわしきヨコハマで、何も持たない私が生き残るための要塞。
ここから私は探さなくてはならない。
この広いヨコハマにいる、たった一人の人間を。
私の記憶を取り戻してくれる、元の世界に帰る方法を教えてくれる、『名探偵』を。
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作者名:あき | 作者ホームページ:http://http://uranai.nosv.org/u.php/hp/fallHP/
作成日時:2021年4月24日 1時