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『おじゃましまーす』
と「あ、スリッパ」
『ごめんもう勝手に取ってる』
と「さすが」
駄々をこねるざわくんをタクシーに乗せて、としみつくんの家に着いた時にはもう約束の時間を回っていた。
わざわざ下まで降りて来てくれた彼は、部屋着にセットしていない髪をしていて、もうお風呂に入ったことが分かる出で立ちだった。
『ごめんね、遅くなって』
と「全然。俺こそ急にごめん。しんどくない?」
『大丈夫!今日はほら、午前中休み貰ってたし』
と「寝れた?」
『寝れた!寝すぎて寝坊しかけたくらい』
と「相変わらずだね(笑) 」
あれ、普通だな。電話口の声が硬かったから心配していたけれど、思ったよりいつも通りな彼に安心する。
ソファーに腰かけても何も話し出さないようだったから、私は世間話でもと口を開いた。
『ざわくんね、この4時間弱でベッロベロなってた』
と「うそ、ほんとに?いつもの店じゃないの?」
『そう。あの店ね、日本酒しか置いてないじゃん』
と「でしょ?だからそこまでベロベロなんないと思うけど」
『ところがですよ。越後武士って日本酒知ってる?46度あんの』
と「46!?そりゃベロベロだわ。よく帰せたね?」
『駄々こねすぎるから、それ以上騒いだら嫌いになるよって言って無理やり帰した』
と「ひど(笑) 」
出してくれたのは、私が置きっぱなしにしている黒豆茶だった。酔っぱらいの相手の後に沁みる。
『私が煽ったのがダメだったんだよね』
と「煽ったの?(笑) 」
『なんかね、ちょっと熱くなっちゃって。謎に日頃の感謝伝えたら泣かれて』
と「やーば」
眉を垂れさせて笑いながら、彼はソファーにもたれて座った。いつもの定位置だ。私はソファー。としみつくんは床。
うん、特に何も変わったところは無い。そろそろ突っ込んでもいいはずだ。
『それで?何の用事?』
パチンと音がしたかのように、としみつくんの纏う空気が変わった。
手に持っていたカップを置いて、彼は私に向き直る。
と「言いたいとこがあって」
『うん』
どうしたの。いくら見下ろしても、その目はずっと伏せられていた。
沈黙の帳が降りる。震える睫毛が上がって、目が合った。
一秒、二秒、三秒。
困ってしまって、瞬きと共に薄く笑う。
『なに?』
首を傾げると、としみつくんは何かを慈しむかのような表情をして、小さく呟いた。
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作者名:蚕虫 | 作成日時:2023年10月30日 21時