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anger ページ5

深層心理に沈んでいた、自分でも分からなかった悲しみに気付かされて、俺の心臓はどきどきと鼓動を速めていた。

言葉を紡げないでいると、「分かんねえなら、いいよもう」と踵を返して、音楽室を出ようとする彼。

カモのヒナが卵から出た後に初めて見たものを【親】と認識するらしいけど、このときの俺はそれと似たような状態で
初めて、しかもやすやすと自分の心に触れたこの人のことを、なにか特別な存在に思った。
だから行ってしまう背中を何もしないで見送るのが不自然で…

掴まえないと、という一心で椅子から立ち上がり、ピアノの角で腰をぶつけながら彼を追う。

出口付近で、がっしりと掴んだ手首。思ったよりも細かった。

「い…いま、今分かった…!気付かなかったんだ今まで…!」

口に出すとそれは陳腐な言い訳に聞こえた。
でも本当のことなので仕方がない。

「あぁ…、そう」

だけどもう彼は、ピアノと俺からも、幻想即興曲からも完全に興味を失っていた。
演奏終わりに、零れたため息が嘘だったかのように、強く掴まれた手首に顔をしかめる。

「痛い、はなして」

「あっ…ごめん」

反射的にぱっと手を放すと、彼が俺を追い抜いて音楽室を出た。
急いで先に回って、行く手をふさぐ。あからさまに不快な顔をされる。

「俺、二宮和也って言うんだ」

「ふぅん」

「あなたは?」

「大野」

「下の名前は?」

「さとし…」


何度も、追い抜かれそうになって、右に左に揺れながらなんとかつなげた会話。
大野智。おおのさとし。何回も頭のなかで繰り返す。
同じことが、大野智の頭のなかで起こっているとは全く思えなかったけど。

「なんで音楽室に来たの?」

「なあもういいだろ…どいてよ」

俺の言葉が、会話を繋げたいだけで ナカミのないものだということを見透かして
だるそうに智は言う。


どうやって繋ぎとめようかと苦心して、今までの人間関係の経験値のなさを呪った。

すると、突然聞こえてきた音。


ト、ト、トト…と天井を叩くように聞こえていたそれはやがて、ザァァァァァ…というまとまった音になった。

雨だ。

「降ってきた」


そう呟いた智の目が、ピアノの余韻にため息をついたときと同じ色をしていて、一瞬息を飲んだ。

その隙に、するりとかわされた体


智は階段を、2段飛ばしたり3段飛ばしたりしながら不規則に降りていった。


「待って!」


.

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作者名:きんにく | 作成日時:2020年4月19日 0時

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