ピアニッシモ【O/N】[ARS] (ページ34)

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miracle pen（side M）ページ34

「これは、誰の”くち”？」

1メートル四方のカンバスに、口角を絶妙に上げて、少し歯を見せて笑った形の

”くち”が描かれていた。

「カズ」

手短にそう答えた唇は、集中しているのか少し尖っている。

整髪料のついてない、ふわふわした金色の髪が、寝ぐせでピョコンと跳ねていた。

----『授業のときしかココで描いたらダメなの？』

初回の授業が終わったあと、描きかけのカンバスを仕舞わずに、まっすぐに教壇にやってきてそう言った純粋そうな瞳を思い出す。

----『描きたくなったらいつでもおいで？』

…大野智は、不真面目な美術部員よりもはるかに熱心に絵を描いた。

1学期の美術の授業は、金曜日の6時間目。

【顔のパーツを描こう】という授業をした。

大野は、持っていたボールペン1本で、みごとに陰影をつけた友人の”目”を描いてみせた。
瞳の中に映っているものまで、繊細に描かれた作品だ。

チャイムが鳴っても、クラスメイトが下校しても、夢中で描き続けた。

不思議な子だった。

画用紙やカンバスを、画板に立てかけて描くことを嫌い、地べたに置いて、寝転んで描くことを好んだ。

制服が汚れてかわいそうなので、床に清潔な毛布を敷いてやると、嬉しそうにゴロンと寝転がり、鼻歌を歌いながら機嫌よく描き進めた。

なんとなく集めていたキリンビールの王冠を、大野は目を輝かせて見つめた。(健全な高校生男子にはおそらくものすごく不必要なものだ)

欲しいかと聞くと、よだれを垂らす犬のような勢いで頷いたので、ひとつあげた。

しかし、子どものような態度を見せていたかと思えば

大人びた繊細なタッチでするすると絵を描いていく。
しかもその内容はときに何かを示唆しているようにも見えるのだ。

とにかく掴みどころのない子だ、というのが最初の印象。

高校美術の教師を始めて5年。

たくさんの生徒を見てきたけれど、こういうタイプは初めてだった。

…外では大音量のセミの合唱。

窓からわずかな風が入ってきても、やっぱり暑い。

「ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん…♪」

『千と千尋』の挿入曲のメロディを小さく口ずさみながら

汗一つかいてない大野が、”くち”から覗いた歯に、黒い線を描き足していく。

「今日はやたらご機嫌だな、…描いてるときはイイ子なのになぁ…(笑)」

ときどき美術室まで聞こえる、生徒指導の先生の「大野！」という怒鳴り声を思い出して

苦笑した。

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