人魚姫2 (ページ28)

今日:34 hit、昨日:3 hit、合計:36,479 hit

78 ページ28

・b

でも、そんな上手くはいかないみたいで。

何があったのか、突然に泣き出した彼女を、俺は意味も分からず抱きしめた。

それから、海辺のベンチに座って。

俺は、何か話そうとして、軽く唇を噛んだ。

何も、言葉が出てこなかった。

何も聞けないまま、俺はそっと彼女の手を握りしめた。

目の前に広がる海は、記憶していたものよりずっとちっぽけで、色褪せていて。

それで、俺のスマホが鳴り出したんだ。

仕事の電話だった。

急用で、今すぐ事務所に戻らないといけなくなった。

彼女は、乾いた笑みを浮かべ

『ううん、私こそごめんなさい。また、今度…』

そう言って、手を振った。

それを背に、俺はタクシーに押されるように乗り込んだ。

まるで、逃げるように。

なぁ、俺はいま、いますごく、ホッとした顔をしてるんじゃないかな。

あのまま彼女といたら、仕事の電話がなかったら。

彼女は、俺に頭を下げて早々と帰ってしまっただろうか。

彼女に帰られた俺は、そのあとレストランにキャンセルの電話を入れ、落ち込んだだろうか。

もしそうだったら、そうなら、

仕事のせいにして取り消すことができてよかった。

彼女に、先に言われなくてよかった。

『ごめんなさい』なんて、断られなくてよかった。

「ここで、降ります」

重いブレーキを踏んだタクシーが、静かに停車する。

小さく、息を吐いてタクシーを出た。

左掌に握られた飴玉を口に放り込み、運転手に礼を言うと足早に事務所に向う。

彼女の体温などもうどこにもないこの掌を、俺は力強く握りしめた。