幸せだからいい〜その2〜【名前変換オリジナル】

作り言葉 ページ22

彼の微かな息遣いだけが鼓膜に重なる。それが私の心にも苦く積もってゆく。

　誰も傷付けずに生きられるなら、その方法を教えて欲しい。
　何一つ傷付かずに生きられるなら、その人生を教えて欲しい。

　一秒前の言葉は巻き戻せない。この重く張り裂けるような沈黙を溶かす方法は無く、きっと時間を戻せたとしても、また同じ言葉を吐くしかない。紛れもなくそれが本心で、隆を傷付けないような嘘を言う余裕はないからだ。

「ごめん、隆は何も悪くないのに、責めるような言い方して、ごめんね……」

　私に出来ることは謝ることだけで、ごめんなさい、をだだ繰り返す。
　するとすぐに、彼がその繰り返しを遮った。

「いや、悪いのは俺だ。今日電話したのは、ずっと謝りたかったからなんだ」

　深く深く沈んだ音が耳から心にズンと重みをかける。

　あの時の彼に非が無かったとは言えない。不倫を止める言動は正しかったかもしれないけれど、欲望だけの行動は間違っていたと思う。

　でも、彼が過去に犯した一度きりの罪やあの時の行動よりも、私の罪や彼に対する態度の方が比べ物にならないくらい重い。

　だから、彼にこんな風に謝られると、私の罪が浮き彫りにされるようで、もっと自分が悪者になるようで、とても辛くなる。

「もう、いいよ」

「でも」とまだ続けようとするその声が、私の罪を重くしてゆく。

「もういいから、もう、謝らないで……」

　訴えかけるように彼を遮る。

「あのさ……」

　再び訪れた沈黙の中、一息飲んで口を開いた。

　これだけは言わなければ、と思った。最初は何も話さないつもりだったのに、彼の傷付いた声と後悔を聞いて、彼に隠し事をすることに背徳感を感じたから。

「朝倉さんと別れた」

　驚きなのか戸惑いなのか、隆の反応は分からないが、返事は暫く返らなかった。私も押し黙った。

　そしてようやく「そうか」と思いやるような声色が聞こえて、「うん」と短く返した。

　奥さんのことは話さなかった。彼には話せなかった。

「早く幸せになれよな」

　最後の彼の言葉は今までで一番温かった。

「うん、ありがとう」と作り言葉を返して電話を切った。

　結局、また嘘をついてしまった。今の私には、幸せな未来は見えなかったのに。

堂々巡り→←変わらない

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す