それを恋と呼べぬまま【万葉】完結

二十九 ページ30

もう夜は深い。

どこの診療所も灯りが無く、
いくら「急患だ」と戸を叩こうと
反応を示すことはなかった。



しばらくは泣いていたAだったが、
身体の辛さが勝り始めたらしく
段々と脱力し、体温を失い始めていた。

眠らせてしまうのが恐ろしくて、
拙者はしきりにAに声をかけながら
町中の診療所を訪ねた。

小さな町だ。
診療所はそう多くなく、見境なく民家まで頼ったが
甲斐は得られず、ついには町の端まで来てしまった。

風が冷たい。

Aの呼吸がどんどん浅いものになっていく。

手が震える。
出来る限りAを冷やさぬよう抱き寄せる。



「大丈夫……大丈夫でござるからな、A……」



ここがダメなら、隣町まで走るべきか。
そこまでAは耐えられるのか。
もし、そこでも宛が見つからなかったら？

ぐるぐる、ぐるぐると
煩雑する思考と不安に潰れそうになった。

いつまでも暗い診療所。
大抵の診療所は家屋と併合しているはず。
つまり家主──医者は中に居ないわけではない。



……住人には申し訳ないが、
背に腹はかえられぬ。



危ないのでAは門前に寝かせてから、
拙者は診療所の庭に植えられた木に登った。

そこから僅かしかない窓枠目掛けて飛び移り、
瓦を掴み、木製の格子窓を蹴破って、
その勢いのまま中へと侵入した。


幸いにもそこは家主の寝床だったらしい。
家主は飛び起き、拙者の姿を見るなり悲鳴を上げた。




「なんだお前は！！ 強盗か！？」
「手荒い真似をして申し訳ない。お主は医者でござるか」




拙者は腰に提げてあった刀を
鞘ごと男の前へと投げた。

更には床に両膝をつき、敵意がないことを示す。


男は困惑しながら、しかし拙者が武器を
手放したことで少しは警戒を解いたのか、
「そうだが……」と答える。



「怪我人がいる、どうか治療をしてくれぬだろうか。このままでは彼女が死んでしまう。どうか……どうか、頼むでござる」



そう懇願して、拙者は床に額をつけた。


男は半信半疑の様子だったが、少し思案したあと
「……はあ、わかった。だが刀は預かるぞ」と言った。





「勿論でござる。かたじけない」
「それで、患者はどこに？」
「庭に。すぐ連れてこよう」





約束通り、刀は置き去りにして
拙者は窓から飛び降り、受け身を取って
Aの元へ戻った。

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