それを恋と呼べぬまま【万葉】完結

二十 ページ21

それから何気ない会話をして、
眠りにつき、朝を迎えた。

乾いた一張羅に着替え、
手伝いをしようと台所に向かうと
Aが淡々と曲げわっぱの弁当箱に
おかずを詰め込んでいた。


「あ、おはようございます」
「おはよう。それは拙者のお弁当でござるか？」
「ええ、そうですよ。私もお弁当を作るのは久しぶりですから、少し歪かもしれませんが……」


Aはそう言うが、
もうすぐ完成するのであろうその弁当箱には
至極端正に、宝玉の如く美しい数々の品が
詰め込まれている。

それも昨夜、Aに拙者の好物を聞かれ
答えたものが全て揃っていて
なんだか急激に腹の減りを感じてしまった。


Aは手先がとても器用だ、と褒めると
彼女は照れながら控えめに笑っていた。



「朝ごはん、食べていかれるでしょう？ 支度は済んでいますので、すぐお持ちしますね」
「有難う。では、居間へ運ぶのは拙者が担おう」
「助かります」



朝餉を共にし、他愛もないことを話した。

その中で、彼女の母が特に好きであった植物は
清心という、白く美しい花であると知った。

その花は璃月にのみ咲くから、
機会があれば是非見に行ってほしいと
Aは自分の夢を語るように、楽しげに話していた。

なんでもその花は、彼女の父親が
母親に交際を申し込む際に渡した花で、
桜庭家にとっては特別な花なのだそう。

清心はその多くが高山に咲いており、
摘んで来るのも一苦労。

それを彼女の父親は百本も集めて、
花束にして渡したんだとか。


「これは母がその時の清心を、押し花にしたものです。香りも良いので、良ければお一ついかがですか？」
「確かにとても癒される香りであるが……大事なものなのでござろう？」
「はい。でも、この栞はあと九十枚あるので……」
「……まさか全部栞にしたんでござるか？」
「ふふ、そうみたいです」


少し錆びたブリキ缶の中に、
恐らく全て清心の押し花なのであろう栞が
高々と積まれているのが見えた。


「九十ということは……あと九枚は何処に？」
「八枚は、助けてくださった浪人様や、今までここを訪れた浪人様方にも差し上げていて……あと一つは、両親の元へ共に埋めてあります」


浪人達に渡すことで、
栞が自分の代わりに旅をしてくれる気がして
そうしているのだと彼女は語る。



「なるほど。そういうことなら、折角でござる。一枚頂いていこう」
「ええ、どうぞ」



そうして受け取った栞からは
爽やかで、少しだけ甘い花の香りがした。

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