それを恋と呼べぬまま【万葉】完結

十八 ページ19

「いつか旅に出て、父の好きだった風景や、母の好きだった植物を見て……その後、浪人様に聞かせて頂いたことを、私も自身で体験してみたかったのです」
「……確かに今は難しいかもしれぬが、それはAが大人になってからでも叶えられることであろう？」



そう言うと、Aは静かに首を横に振った。



「里子を引き取るのは、その大半が跡継ぎを担わせたい、裕福な御方で……私はその期待に応えねばなりません。ですから、きっと旅に出る暇などは無いでしょう」


引き取られてしまえば、
Aはその稼業を継ぎ、勉学に励み
そして次の代に繋いでいかなくてはならない。

ああ、なるほど、と合点がいく。

拙者も、楓原家が没落せず続いていれば
こうして気ままな旅に出ることは難しかっただろう。

里子を欲してまで
相続していく家門に入ってしまえば、
気軽に外へ出ることすらままならないかもしれない。

ましてや一人旅に出るなど、夢のまた夢であろう。



「でも、もう良いんです。いい加減諦めなければ、後が辛いだけですから……」



Aは、表情こそ笑っているが、
そこには哀愁の色が滲んでいた。

家族を亡くし、家も、夢も失くして
彼女は一体、どれほどのことを諦めてきたのだろう。

拙者にはまだ、旅という選択肢が残っていた。
それがいかに恵まれたことであったのかを
ひしひしと感じて、拳を握りしめた。


「発つのは来月であったな」
「……？ ええ、そうです」
「嵐はもう止んだ。拙者は明朝にでもここを離れよう」
「……寂しくなりますね」


だが、と続ければ、彼女は首を傾げた。


「拙者は、あの桜が咲くのを見届けたい。だからしばらくは、この辺りを散策するでござる」
「まあ。ぜひ、ウチの桜はとっても綺麗なんですよ」
「そうであろうな」


誇らしげに微笑むA。

家族写真に映る桜は、
その笑顔に負けず劣らず実に見事なものである。




「それで……お主さえ良ければ、その間、拙者の旅に同行してくれぬだろうか」





そう提案すると、
Aは目を見張り、息を呑んだ。

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