それを恋と呼べぬまま【万葉】完結

十六 ページ17

Aは昨日、
半刻とせず湯浴みを終えて
居間に戻ってきていた。

しかし、今日はもう一時間半ほど
経過したというのにまだ出てこない。

一時間が過ぎる頃までは
ゆっくりしているのだろうか、と
気長に捉えていたものの、それから半刻経って
次第に心配がふつふつと湧き上がってきた。


とはいえ覗くわけにもいかず、
時々風呂場の方を気にしながら待っていたら
突然、ゴン、と鈍い音が鳴った。


「……A？」


思わず名を呼ぶも、返事はなく。

少ししてから、「うう……」と
呻き声が聞こえたので、もう一度名を呼んでみたが
やはり返事はなかった。

恐らくまだ脱衣所には出ていないだろうと、
「A、入るでござるよ」と声をかけてから
脱衣所を覗いてみる。

そこにAはおらず、
呻き声は風呂場の方から聞こえていた。


戸に近寄って、再度声をかける。


「A、大丈夫でござるか？」
「んん……ぅ、……」
「具合が悪いんでござるか、A」
「…………」


ついには呻き声すら上がらなくなってしまい、
しばし考えてから、大きめの手拭を広げて
風呂場に入ることにした。


「A、失礼するでござるよ」


なるべく目を逸らしながら戸を開ける。
湯船にAの姿は無く、
視線を巡らせれば、Aは床に倒れていた。


顔を始めとした肌がほんのりと赤い。



「逆上せたんでござるか……？」



Aの胴体に手拭をかけて、
袖を捲り、Aを横抱きにして
風呂場から連れ出す。

拍子抜けするほど軽い身体に驚いた。
見た目でも細いが、持ち上げてみれば
想像よりもずっと軽く感じた。

藤川殿も心配するわけであるな、と納得した。



あまり素手では触らないように
Aを介抱し、試行錯誤しながら浴衣を着せ、
居間の中でも玄関に近い、涼しい場所へ避難させた。



Aは気を失っているようで、
終始ぐったりとして、時々苦しそうに呻いていた。




パタパタと手を団扇代わりに
Aの首元を仰いでやりながら、
もう片方の手は自分の頬に当てた。



咄嗟のことであったし、
なるべく見ないように、触らないようにと
気を配ったが、拙者は正直に言うと
女子に対する耐性が薄い。

楓原家に女人は少なく、
男に囲まれて育ったが故である。



しかしこんなこと──介助などで動揺するとは、
拙者もまだまだ未熟であるな……。





自戒しつつ溜息を吐いていれば、
意識が戻ったようで、
Aが薄らと目を開けた。

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