儚 ページ11
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カーテンの閉められた窓を見ていても、なにも面白くないだろうと思ったので、櫻井は縁側を解放してやった。
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つうと夜風が吹きこんできて、大野はふるりと肩を竦める。
(やっぱ、ちょっと寒いか……)
夕方、彼の肩にかけておいた毛布は、綺麗に畳まれてクロゼットの横に置かれていた。
それを再び広げて、肩にかける。あまり近づくと怖いようだと、相葉から聞いていたので、ほとんど手渡すのと同じようにやった。
櫃や小鉢は全て、お盆の中に仕舞って蓋をした。
【ここから星が良く見えます】
そう書いた。
開け放った窓。縁側からは、庭と星が、よく見えた。
櫻井には毛布が無いので、少し寒かった。
【いいと思う】
返ってきた言葉は、拙かった。
いいと思う。
櫻井は心の中で苦笑した。大野の方を見れば、また不安げに瞳を湿らせている。
心に、余裕がなさそうな感じがした。
ここから見える星が綺麗だとか、夜風が気持ちいいだとか、宿の畳の香りが落ち着く、だとか
そういうことを、今の大野は、素直に受け取れないようになっているのだ…と
なんとなく櫻井は、そう思った。
東京から来たと聞いている。ずいぶん忙しく働いていたらしいから、急に、このような静かなところに、ぽいと放り出されて
まだ身体と心が、馴染めないのかもしれない。
【急ぐこと、無いですよ】
ゆっくり書いた。
心も頭もぼんやりとおぼつかないのに、何かが急いて、無表情に焦っているような大野に
時間は、とくとくと同じリズムで流れていることを教えてやりたかった。
櫻井は、言葉をいきもののように思っていた。
文字なら、一画一画が、声なら、伴う吐息のひとつまでが、言葉に命を吹き込むのだと、信じていた。
だから彼の使う言葉は、砕けていても丁寧でいても、いつも慎重であった。
【今日は、もう少しお眠りになったほうが良いような感じがします
食事は明日も出ます 風呂屋も、明日も開きますから】
大野は、櫻井のそのような思いは知らずとも、彼の言葉の使いかたを、好いと思った。
安心させるような、柔らかさがあった。
文字を書いて、メモをこちらに向けるとき、にこ、と綺麗に微笑むのが
お手本を見ているようだった。笑みのうつくしい人が、この宿には多いみたいだ。
等間隔に並んだ、綺麗な文字の列を眺めて、大野は
眠そうに、毛布の端で目をこすり、そして
ふ…と僅かに、肩の力を抜いた。
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きんにく(プロフ) - 律さん» 律さん!こちらにも来ていただいて本当に幸せです〜ありがとうございます(泣)ご期待に添えるようなお話が書けたらなと思います! (2021年1月8日 11時) (レス) id: d7e5080941 (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - はるさん» はるさんはじめまして!お越しいただき誠にありがとうございます。そんなふうに言ってもらえて幸せです♪がんばります! (2021年1月8日 11時) (レス) id: d7e5080941 (このIDを非表示/違反報告)
律(プロフ) - やっぱりきんにくさんの小説が大好きです!癒しです!続き楽しみにしてます! (2021年1月6日 19時) (レス) id: 820f2de8f4 (このIDを非表示/違反報告)
はる(プロフ) - きんにくさん、初めまして。素敵なお話ありがとうございます。これからも楽しみにしています。 (2021年1月6日 11時) (レス) id: 6cd0f843d6 (このIDを非表示/違反報告)
きんにく(プロフ) - satominさん» satominさんありがとうございます♪毎度毎度、恐縮でございます。おおお…私が読んでる本は暗くて長くて素敵な本です(笑)その人たちみたいに書けたらなあと思いながらなかなか…な日々です(笑)嬉しいことを聞いてくださってありがとうございました♪ (2020年12月28日 23時) (レス) id: 3c003d42b5 (このIDを非表示/違反報告)
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作者名:きんにく | 作成日時:2020年10月19日 16時