カラット＜yb×hk＞

１カラット ページ1

…





目覚めのキスはゴムの味がした。





いよいよ枕元に置いていたクーラーのリモコンを抱き寄せ
おっぱじめようとしていたらしい。寝ぼけていたとはいえ
あまりに可哀想な自分を、ご無沙汰なんだし仕方ない、と
なぐさめてやる。汗をかいた身体は起こすとふらふらした。





「あっちーな、もぉ……」





指ひとつで言うことを聞いてくれるという一点においては
リモコンちゃんは俺の好みだ。
無駄に設定温度を上げたり、下げたり、また上げたりして
結局２℃下げた。お蔵入りした原稿や、読みかけの小説で
足の踏み場もない部屋を横切って、パソコンで時間を確認、
朝か昼か夜かを決める。これは俺の日課だ。


座付きの脚本家として数年間を過ごした。
この部屋には、朝も昼も夜も来なくなってしまった。


本が思うように書けない永遠みたいな時間と、いくらでも
書けてしまう瑞々しい時間のどちらかしか存在しないのだ。
２週前、劇団の看板役者が突然、役者人生に幕を下ろして
以来、この部屋に瑞々しい時間は訪れていない。

ウチにも味のある役者はたくさんいる。みんな個性的だし
練習熱心だ。でも、いわゆるショートケーキの苺みたいな
奴がいない。見ているだけで、胸がときめくような主役が。







ぴんぽーん。ぴんぽーんー・・。







ぴんぽんぴんぽんぴんぽーーん。







朝(世間で言うところの) なのに、非常識な奴だ。
寝癖を撫でつけたり、捲れたＴシャツを直したりしながら
裸足のまま玄関に降りた。
足裏にひんやり、と吸いついてくるタイルは夏の風物詩だ。





ガチャンー・・





「あーよかった、起きてた。おれ隣の部屋の八乙女です。
今さっき帰ってきたんですけど、鍵を失くしちゃって、、
いや、忘れちゃって？
まぁそれで大家さんのお部屋にも行ってみたんですけど、
また旅行中って札が、、あの人お金持ちなんですかね？」





風貌が奇抜過ぎて、内容が頭に入ってこなかった。
この真夏に、蝉も鳴いてるっていうのに、キャラメル色の
モコモコした毛皮のコートにこっぽり着られているのだ。
首の回りなんかは馬鹿でかいベーグルみたいな襟がついて
見ているこっちまで暑苦しい。

栗色の長い前髪が汗でへばりつき、顔の半分が隠れていた。





「だから、その、えーっと……」





謎のコート男は、腰から上だけをびろん、と後ろに曲げて
表札の名前を読もうと目を細めたまま、変な沈黙が流れた。

どうやら漢字が読めないらしい。





「……薮(やぶ)」
「あっ、やぶさんの家の方から入れてもらえないかなって」
「……は？」





…

＊→

→ 目次へ｜作品を作る｜感想を書く
他の作品を探す